観世寿夫(読み)カンゼヒサオ

デジタル大辞泉 「観世寿夫」の意味・読み・例文・類語

かんぜ‐ひさお〔クワンゼひさを〕【観世寿夫】

[1925~1978]能楽師シテ方観世流東京の生まれ。7世観世銕之丞長男。戦後能楽界の旗手存在として活躍。能楽研究や演劇運動も行った。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「観世寿夫」の解説

観世 寿夫
カンゼ ヒサオ


職業
能楽師(観世流シテ方)

別名
前名=観世 清寿(カンゼ キヨヒサ)

生年月日
大正14年 11月12日

出生地
東京市 下谷区(東京都台東区)

学歴
慶応義塾普通部2年中退

経歴
7代目銕之丞(のち雅雪)の長男。昭和19年清寿と改名、24年本名の寿夫に戻る。祖父観世華雪師事、昭和4年仕舞「猩々」で初舞台、7年「経正」で初シテをつとめる。17年「石橋」、19年「道成寺」を披く。早くから天分を認められ、戦後は能楽界の旗手的存在として活躍。たえず古典の正統的な継承と現代への再生を志向。世阿弥伝書を中心とする能楽研究や、新しい演劇活動にも参加した。28年に実弟の栄夫、静夫(8代目銕之丞)らと華の会を、45年には有志の能楽師と新劇人で冥の会を結成し、能楽再吟味の意欲的演能を行なう。「智恵子抄」「オイディプース王」「メディア」など新作能も演じた。一方、37年フランス政府招聘日仏演劇交換第1回留学生として渡仏、ジャン・ルイ・バロウのもとで学ぶ。49年及び51年には世阿弥座を結成し、海外公演を行う。53年円熟期を迎える前に急逝、没後「観世寿夫著作集」全4巻が刊行された。また54年業績を記念して観世寿夫記念法政大学能楽賞が設けられた。

受賞
芸術祭賞(奨励賞)〔昭和38年〕「木賊」,芸術祭賞(優秀賞)〔昭和49年〕「野宮」,モービル音楽賞〔昭和51年〕

没年月日
昭和53年 12月7日 (1978年)

家族
父=観世 雅雪(7代目銕之丞),祖父=観世 華雪,弟=観世 栄夫,観世 銕之丞(8代目),妻=関 弘子(女優)

伝記
最期の台詞―演劇人に学ぶ死の作法能・歌舞伎俳優たち演出家の発想終幕の思想―演劇人の死心より心に伝ふる花花は心―観世華雪 雅雪 寿夫 北川 登園 著塚本 康彦 著鈴木 忠志 著北川 登園 著観世 寿夫 著銕仙会 編(発行元 STUDIO CELLO朝日新聞社太田出版白水社白水社白水社 ’07’94’94’93’91’90発行)

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20世紀日本人名事典 「観世寿夫」の解説

観世 寿夫
カンゼ ヒサオ

昭和期の能楽師(観世流シテ方)



生年
大正14(1925)年11月12日

没年
昭和53(1978)年12月7日

出生地
東京市下谷区(現・東京都台東区)

別名
前名=観世 清寿(カンゼ キヨヒサ)

学歴〔年〕
慶応義塾普通部2年中退

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞(奨励賞)〔昭和38年〕「木賊」,芸術祭賞(優秀賞)〔昭和49年〕「野宮」,モービル音楽賞〔昭和51年〕

経歴
7代目銕之丞(のち雅雪)の長男。昭和19年清寿と改名、24年本名の寿夫に戻る。祖父・観世華雪に師事、昭和4年仕舞「猩々」で初舞台、7年「経正」で初シテをつとめる。17年「石橋」、19年「道成寺」を披く。早くから天分を認められ、戦後は能楽界の旗手的存在として活躍。たえず古典の正統的な継承と現代への再生を志向。世阿弥伝書を中心とする能楽研究や、新しい演劇活動にも参加した。28年に実弟栄夫、静夫らと“華の会”を、45年には有志の能楽師と新劇人で“冥の会”を結成し、能楽再吟味の意欲的演能を行なう。「智恵子抄」「オイディプース王」「メディア」など新作能も演じた。一方、37年フランス政府招聘日仏演劇交換第1回留学生として渡仏、ジャン・ルイ・バロウのもとで学ぶ。49年及び51年には世阿弥座を結成し、海外公演を行う。53年円熟期を迎える前に急逝、没後「観世寿夫著作集」全4巻が刊行された。また54年業績を記念して“観世寿夫記念法政大学能楽賞”が設けられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「観世寿夫」の意味・わかりやすい解説

観世寿夫 (かんぜひさお)
生没年:1925-78(大正14-昭和53)

能楽師,観世流シテ方。東京の生れ。観世宗家の分家,7世観世銕之丞(てつのじよう)雅雪(1898-1988)の長男。1944年清寿(きよひさ)と改名,49年本名の寿夫に戻る。祖父観世華雪に師事。早くから天分を認められ,第2次大戦後能楽界の旗手的存在として活躍。天賦の技量と努力,研究熱心によって,演出意図の透徹した能を演じ,たえず古典の正統的な継承と現代への再生を志向した。世阿弥伝書を中心とする能楽研究や新しい演劇運動にも参加した。〈能楽ルネッサンスの会〉主催の世阿弥伝書研究会やグループ〈華の会〉〈冥の会〉における活動はその表れである。62年フランス政府招聘日仏演劇交換第1回留学生として滞仏,ジャン・ルイ・バローらとの交流は終生続いた。汎演劇的視野で能を考え,能楽界を超えた幅広いファン層を獲得したが,円熟期を迎える前に急逝。没後《観世寿夫著作集》全4巻が編まれた。弟に観世栄夫(1927-2007),8世観世銕之丞(1931-2000)がいる。
観世流
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「観世寿夫」の意味・わかりやすい解説

観世寿夫
かんぜひさお
(1925―1978)

能のシテ方。観世流宗家の分家、7世観世銕之丞(てつのじょう)(雅雪)の長男。前名清寿(きよひさ)。栄夫(ひでお)、静夫(8世銕之丞)はその弟。天分と精進と理論の兼ね備わった名手で、能界に大きな影響を与えた。華の会などを結び、傑出した演技で古典の能にも新風を吹き込むほか、新作能『智恵子抄(ちえこしょう)』『鷹姫(たかひめ)』、前衛音楽と能の技法の融合『水の曲』、冥(めい)の会を主宰しての『オイディプース』『ゴドーを待ちながら』『名人伝』や、『トロイアの女』など、新しい演劇運動にも大きな足跡を残した。ジャン・ルイ・バローらとも演劇の国際交流を果たした。著書に『心より心に伝ふる花』ほか。

[増田正造]

『『観世寿夫著作集』全4巻(1980~81・平凡社)』『渡辺守章編『幽玄――観世寿夫の世界』(1980・リブロポート)』

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百科事典マイペディア 「観世寿夫」の意味・わかりやすい解説

観世寿夫【かんぜひさお】

楽師。観世流シテ方。東京都生れ。観世宗家の分家に生まれ,父7世銕之丞(てつのじょう)の兄華雪に師事,第2次大戦後能楽界の旗手的存在となる。世阿弥の伝書を中心とする能楽研究に力を入れ,古典の正統的継承に努めるとともに,前衛的な演劇運動にも参加,能を現代の演劇として再生させようとした。1962年日仏演劇交換第1回留学生として滞仏し,フランスの舞台俳優ジャン・ルイ・バローらと交流。1976年にはヨーロッパ公演を行っている。《観世寿夫著作集》全4巻がある。
→関連項目観世栄夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「観世寿夫」の意味・わかりやすい解説

観世寿夫
かんぜひさお

[生]1925.11.12. 東京
[没]1978.12.7. 東京
能楽師,観世流シテ方。7世観世銕之丞 (雅雪) の長男。第2次世界大戦後の能楽界における旗手として活躍。 1962年フランス政府招聘留学生となり,J.-L.バローらと親交を結ぶ。以降,演出意図の透徹した古典能を継承する一方,現代演劇・現代音楽界との交流も行い,新作能や電子音楽の舞踊化などで幅広い支持層を得た。円熟期を迎える前に急逝。没後『観世寿夫著作集』 (4巻) が編まれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「観世寿夫」の解説

観世寿夫 かんぜ-ひさお

1925-1978 昭和時代の能楽師シテ方。
大正14年11月12日生まれ。7代観世銕之丞(てつのじょう)の長男。父と祖父の観世華雪に師事。傑出した芸と理論で戦後の能楽界をリード,華の会を組織し古典の能に新風をふきこむ。「智恵子抄」などの新作能を演じ,冥(めい)の会を結成して「オイディプース」を上演するなど,あたらしい演劇運動にも参加した。昭和53年12月7日死去。53歳。東京出身。前名は清寿(きよひさ)。

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367日誕生日大事典 「観世寿夫」の解説

観世 寿夫 (かんぜ ひさお)

生年月日:1925年11月12日
昭和時代の能楽師(観世流シテ方)
1978年没

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