観音院跡
かんのんいんあと
[現在地名]金沢市東山一丁目
卯辰山西麓にあった。卯辰山と号し、真言宗。本尊の十一面観音は大和国長谷寺(現奈良県桜井市)の観音の末木をもって作られたとされ、当初は石浦村にあったが慶長六年(一六〇一)卯辰山へ移されたという。同年前田利長が観音堂と山王社を造営し、元和二年(一六一六)には三代藩主前田利常夫人(二代将軍委忠娘)の発願で現在地に当院が造営されたと伝える(貞享二年寺社由緒書上など)。
観音院跡
かんのんいんあと
観音院は許麻神社境内にあって宮寺であった。古義真言宗御室御所(仁和寺)真光院末であったが、明治初期の神仏分離で廃寺となった。観音院記録書(念仏寺蔵)によると、聖徳太子が十一面観音を本尊とする久宝寺を建立し、推古天皇二年勅願所となった。室町時代に松永久秀に焼かれ、本尊のみが僧源山によって伊賀国下津に運ばれ、永禄九年(一五六六)源山没後に返送されてきたが堂舎がなかったのでそれを安置するため当院を建立したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 