日本古代において,官吏の交替の際,新任者が前任者との間の交替事務を完了した旨を記して発給する公文。前任者は一定期日内にこれを太政官に提出しなければならず,また解由状を得られなければ次の官職につくことができなかった。解由状がいつごろより行われたかは不明であるが,遅くとも731年(天平3)まではさかのぼる。当初はおもに財政監察の意図から国司の交替時にのみ発給されていたが,厳密には守られていなかった。平安時代に入り,租税制度が弛緩して国家財政が悪化しはじめるとともに,現地での租税徴収責任者である国司に対する監察強化の一環として解由制度の励行が強調され,解由状の監察を目的とする勘解由使(かげゆし)が太政官の内局として設置された。また809年(大同4)には中央の諸官司の官吏交替にも解由制度が適用されることとなり,官吏全般に対する監察制度となった。《延喜式》によれば解由状は2通作成され,太政官を通じて,1通は式部省に送られて官吏の勤務評定の資料とされ,他の1通は勘解由使に下して内容を監察した。解由状の書式は《延喜式》に定めるが,時代を追うとともに書式も多様化し,《朝野群載》には11~12世紀ころの4種の書式を載せている。
執筆者:吉岡 真之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
史料上では単に解由とも記される。奈良・平安時代に官吏が交替する際、新任者が前任者に交付する事務引き継ぎの終わったことを示す証明書。とくに国司(こくし)の場合が有名で、120日以内に解由状が新任国司から前任者に渡され、これが太政官(だいじょうかん)に上申されて承認を受けることで交替が完了した。解由状のない前任国司は帰京を厳禁され、手続が完了しないと次に任用されないことになっていた。そのため新任者と前任者との間で争いが起きたときは両者の間で引き継ぎ未終了の旨を記した「不与(ふよ)解由状」が作成された。この制度では、国司のなかに、解由状を得られぬまま任期終了後も地方にとどまり百姓に乱妨(らんぼう)を働く者がいたので、842年(承和9)に、解由状のない国司の入京がいったん許されたが、6年後ふたたび禁じられた。なお、1025年(万寿2)には、着任する以前に、前任者に「白紙の解由」状を渡した国司の例があるが、詳しい事情は不明である。
[川島茂裕]
『阿部猛著『摂関政治』(教育社歴史新書)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈とくるよしかんがふるつかさ〉ともいう。8世紀後半以降,地方行政の弛緩が目だちはじめ,国司に対する監督が強化されたが,その一環として,国司交替の際に前任者が交替完了の証明のため発給して後任者に与える解由状(げゆじよう)の制度の強化がはかられた。それにともなう事務処理および解由状の勘査を行うために設置されたのが勘解由使である。…
※「解由状」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新