諸宮調(読み)しょきゅうちょう(英語表記)Zhu-gong-diao

  • 諸宮調 zhū gōng diào

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国,宋,金代の語り物風の歌曲。当時都市の盛り場で最も流行した演芸の一つ。以後3世紀にわたって庶民に愛好された。創始者は山西の沢州 (晋城県) 出身の芸人孔三伝で,崇寧,大観年間 (1102~10) に活躍したと記録されている。琵琶伴奏とし,歌とせりふを連鎖させる点は日本の浪曲に似て,1人もしくは数人で語ったらしい。歌の部分は同じ楽調 (宮調) に属する短いメロディーの組歌 (套曲) から成り,1編中に各種の宮調が交錯して使われるのでこの名がある。耳で聞かせる演芸として口語が多く用いられ,押は簡易化され,またメロディー外の付加字である「襯字 (しんじ) 」の使用が大幅に取入れられた点など,元代の演劇,歌曲,すなわち「元曲」「散曲」に大きな影響を与えた。ただ現存作品はきわめて少く,完全な形で残っているのは金の董解元の『西廂記諸宮調』 (『董西廂』) だけである。

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百科事典マイペディアの解説

中国の古い語り物の一種。琵琶などの弦楽器の伴奏で,歌曲とせりふを混ぜて一人で演唱する。北宋の芸人,孔三伝の創始と伝えられ,金代に盛行し,庶民に親しまれた。金の董解元(とうかいげん)の《西廂記諸宮調》(別名《董西廂》)は,唐の元【しん】の伝奇小説《鶯鶯伝(おうおうでん)》に材を取り,素朴で力強く,構成緊密な傑作王実甫雑劇西廂記》に影響を与えた。ほかに作者不詳《劉知遠諸宮調》,王伯成《天宝遺事諸宮調》が現存。

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世界大百科事典 第2版の解説

中国の宋・金・元代(10~14世紀)に流行した語り物の形式。韻文による歌と散文叙述とを交互にくりかえして,長編の物語を語った。歌辞の部分は,同一の宮調(調子のこと)に属する二つ以上の曲から成る組曲(これを〈套数〉という)を数十つらね,全体として複数の宮調による大型の組曲形式となっており,諸宮調という名称もそこから起こった。演者は通常1人で,伴奏は琵琶などの弦楽器を用い,そのためまた〈搊弾詞(しゆうたんし)〉ともよばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中国、宋(そう)・金(きん)・元(げん)代に流行した語り物演芸の一種。宮調(音階)を同じくする数曲からなる短い套数(とうすう)(組曲)を同一の押韻(おういん)の歌詞で歌い、このような套数を多数連ね、間に語りも入れて長編を構成していく。一つに限られることなく、諸種の宮調の套数を並べるようになったところから諸宮調といい、また琵琶(びわ)などの弦楽器を伴奏としたため趨弾詞(すうだんし)ともよばれた。11世紀後半に沢州(たくしゅう)(山西省晋城)出身の民間芸人孔三伝(こうさんでん)がつくりだしたものといわれ、士大夫(したいふ)の間にも流行し、宋朝南渡後には南方にも広まった。豊富な曲調を駆使する長編叙述の形式は、後続の元雑劇にも多大な影響を与えたと考えられる。題材も恋愛物語や歴史物語など当時の俗文学に共通するものが多いが、テキストの伝わるものは少ない。金代の『劉知遠(りゅうちえん)』の残本と、元の王伯成(おうはくせい)の『天宝遺事』の残編輯本(しゅうほん)のほかには、金の章宗の時代の人董(とう)某の『西廂記(せいそうき)』ただ1本が伝わるだけである。この『董解元(とうかいげん)西廂記』は、唐の元稹(げんしん)の小説『鶯鶯伝(おうおうでん)』に取材しているが、原作に10倍する長編が巧みな構成と口語を交えた生気ある語り口で読む者を飽きさせない。中国文学史上、戯曲、小説を中心とする叙事文学の時代の開幕を飾る作品となった。

[傳田 章]

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