謝安(読み)シャアン

デジタル大辞泉 「謝安」の意味・読み・例文・類語

しゃ‐あん【謝安】

[320~385]中国東晋政治家陽夏河南省)の人。あざなは安石。博識で行書をよくし、王羲之らと親交があった。前秦苻堅ふけん大軍を率いて侵攻したとき、弟の謝石や甥の謝玄とともにこれを淝水ひすい迎え撃ち大勝した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「謝安」の意味・読み・例文・類語

しゃ‐あん【謝安】

  1. 中国、東晉の政治家。字(あざな)は安石。陳郡陽夏(河南省大康県)の名門出身。博識で風流を好み、王羲之らと交わり、書をよくした。会稽に寓居したが、中年以後、桓温幕下に入り、帝位をねらう彼の野望をくじいた。桓温の死後宰相になり、前秦王苻堅侵入を防いだ。(三二〇‐三八五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「謝安」の意味・わかりやすい解説

謝安 (しゃあん)
Xiè Ān
生没年:320-385

中国,東の名宰相。字は安石。陳郡陽夏(河南省太康県)が本籍の人であるが,会稽(浙江省)上虞(じようぐ)に寓居して,早くから大人物と目されながら王羲之らと風流自適の生活を楽しみ,40歳を過ぎてはじめて出仕した。中央に地位を占めてからは,東晋を奪おうとする桓温かんおん)の野望をくじき,383年(太元8)には甥の謝玄らを派遣して,南下する前秦苻堅(ふけん)の大軍を淝水(ひすい)に破った(淝水の戦)。行書にも巧みで教養豊かな彼のおおらかな政治のやり方は,貴族政治の典型とされる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「謝安」の意味・わかりやすい解説

謝安
しゃあん
Xie An; Hsieh An

[生]太興3(320)
[没]太元10(385)
中国,東晋 (→) の名臣。字は安石。陳郡陽夏 (河南省) の人。 40歳を過ぎてから官途についた。桓温 (かんおん) が東晋朝を倒しみずから王朝を建てようとする野望をもっていたが,よくそれを食止めた。前秦の苻堅大挙南下しようとした際,東晋側の統率者として,弟謝石,甥謝玄らを指揮してそれを迎え撃ち,淝水で大勝した (→淝水の戦い) 。彼は東晋初期の王導と並ぶ功臣であるが,当時第一流の文化人でもあった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「謝安」の意味・わかりやすい解説

謝安
しゃあん
(320―385)

中国、東晋(とうしん)中期の政治家。字(あざな)は安石。陳郡陽夏(河南省)の名族出身。初め会稽(かいけい)(浙江(せっこう)省)の荘園(しょうえん)で王羲之(おうぎし)らと悠々自適して40歳で出仕、尚書僕射(しょうしょぼくや)、司徒(しと)、太保(たいほ)を歴任した。度量が広く洞察力に富み、長期的展望のもとに国家秩序の樹立に努め、計略で軍閥桓温(かんおん)の簒奪(さんだつ)を阻むとともに甥(おい)の謝玄を用いて前秦(ぜんしん)符堅(ふけん)の大軍を淝水(ひすい)の戦いで撃退するなど、東晋王朝をもり立てた。また音楽、行書、清談に優れた文化界の領袖(りょうしゅう)で、高踏的気風と相まって「風流宰相」と慕われ、後世においても大臣の模範とされた。

[安田二郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「謝安」の解説

謝 安
しゃあん

320〜385
東晋の宰相
河南の名族の出。軍閥桓温の簒奪を抑えるとともに,383年には前秦の苻堅 (ふけん) の侵攻を淝水 (ひすい) の戦いで破り,晋朝を維持した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android