江戸初期の土佐(とさ)南学(なんがく)派の儒者。土佐(高知県)の富豪の家に生まれる。名は素有(そゆう)、通称大学または三郎左衛門。出家して慈沖(じちゅう)と称し、真宗(しんしゅう)の僧侶(そうりょ)であったが、南村梅軒(みなみむらばいけん)の学を継いだ天室(てんしつ)(天質)の弟子となり、儒学を学ぶ。四書(ししょ)の研究に専念した結果、ついに還俗(げんぞく)し儒者となって程朱学(ていしゅがく)を奉ずるに至った。還俗後の字(あざな)は時中、鈍斎(どんさい)(鈍翁(どんおう))はその号。中国の朱子学者許魯斎(きょろさい)(許衡(きょこう))、薛敬軒(せつけいけん)(薛瑄(せつせん))を追慕したという。文集6巻、語録4巻があるが、今日に伝わらない。天室の門にあったとき、『大学』の「財を生ずるに大道あり」の句について、天室が「資財は人を殺して身を喪(うしな)うの本なり。其(そ)の之(これ)を有することの難(かた)からんよりは、寧(むし)ろ之(こ)れ無(な)きの易(やす)きに若(し)かず」といったのに対して、「財もと人を殺す心なし。人貪奪(どんだつ)し、自ら敗亡を取る」と批判したという。ここに近世的精神の胎動をみることができる。私有の田地300石の大半を売って経書(けいしょ)を購入した逸話は有名。性豪邁(ごうまい)で権貴(けんき)を怖(おそ)れず、藩主山内忠義(やまのうちただよし)(1592―1665)の招聘(しょうへい)も辞した。その門から野中兼山(のなかけんざん)、小倉三省(おぐらさんせい)、山崎闇斎(やまざきあんさい)らの英才が出ている。
[源 了圓 2016年6月20日]
『糸賀国次郎著『海南朱子学発達の研究』(1935・成美堂書店)』▽『大高坂芝山著「芝山南学伝」(関儀一郎編『日本儒林叢書 第2巻』所収・復刊・1971・鳳出版)』
江戸初期の儒者。名は素有,通称は大学。時中は号。土佐の人。初め仏門に入ったが,のち海南朱子学(16世紀の中ごろ,南村梅軒が土佐に伝えたといわれる儒学)の天室に従って儒学を学び,ついに儒者として朱子学を土佐に唱え,当時これを南学と称した。野中兼山,山崎闇斎らがその教えを受け,単に土佐海南朱子学の確立者たるのみならず,日本近世朱子学の首唱者となる。
執筆者:平 重道
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(柴田篤)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1598/99~1649.12.30
江戸前期の儒学者。父は浄土真宗の僧侶。名は素有,時中は字で,はじめ慈沖と称し,還俗後に時中と改めた。土佐国生れ。南村梅軒に朱子学を学んだという雪蹊寺の僧天質(てんしつ)から儒学を学び,海南朱子学の実質的な派祖となる。幼少から俊秀で,権威に屈しない謹厳で豪気な性格をもち,生涯民間にあって学を講じた。野中兼山(けんざん)・小倉三省(さんせい)・山崎闇斎などの門人を輩出し,子の一斎も父の跡を継いで大儒となった。著書「素有文集」「素有語録」。
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