角島(読み)つのしま

日本歴史地名大系 「角島」の解説

角島
つのしま

[現在地名]豊北町大字角島

ひびき灘の最北端、油谷ゆや湾入口の南付近にある島で、島戸しまど浦の西に海士あま瀬戸せとを挟んで位置する。長径四・四キロ、周囲一六キロで、最も狭い中央部は約三〇〇メートル余である。長府藩領で豊浦郡田耕筋に属す。

角島の名について「地下上申」に「角島と申ハ夢崎・牧崎両方之鼻角のごとく出張有之ニ付、角しまと往古より申習候」とあるが、「長門金匱」では、津の島とも考えられるとしている。

平城宮出土の天平一八年(七四六)三月二九日の日付のある木簡に「長門国豊浦郡都濃嶋所出穉海藻」とみえ、「万葉集」巻一六にも、

<資料は省略されています>

という歌がある。また「延喜式」の諸国馬牛牧のうちに「長門国角島牛牧」とある。長門牛の貢進は永久元年(一一一三)頃までは続いていたらしく、「殿暦」の同年二月三日条に「自長門牛牧、牛七頭将来」とみえる。

集落は元山もとやま尾山おやまに分れ、元山は農耕が主で、尾山は漁労が主である。集落は元山から尾山に移ったようで、元山には弥生前期の沖田おきた遺跡、尾山には弥生後期のふじさこ遺跡がある。井王家系図によると、百済王の子孫が角島に漂着し、瀬崎安寿密せざきあんじゆみつ寺に住み、のち永久年間賊火に焼かれ、これより筑前鐘崎かねさき(現福岡県宗像郡玄海町)に移ったという(小倉市史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「角島」の意味・わかりやすい解説

角島
つのしま

山口県北西端に浮かぶ玄武岩台地の島。下関市豊北(ほうほく)町に属し、面積3.84平方キロメートル。平城宮址(し)出土の木簡に「都濃(つの)嶋」とみえ、『延喜式(えんぎしき)』には「長門(ながと)国角島牛牧」とある。島内はよく耕地化され、農村の元山(もとやま)と漁村の尾山(おやま)の二集落がある。本土の特牛(こっとい)港から渡船がでていたが、2000年(平成12)角島大橋によって本土と直接結ばれた。北長門海岸国定公園の一部で、夏はキャンプ村がにぎわい、釣り客も多い。夢ヶ崎には1876年(明治9)点灯の一等灯台である角島灯台(重要文化財)がある。人口941(2000)。

三浦 肇]


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改訂新版 世界大百科事典 「角島」の意味・わかりやすい解説

角島 (つのしま)

山口県北西端,日本海に浮かぶ玄武岩台地の島。面積4.0km2,人口901(2005)。下関市に属し,対岸の特牛(こつとい)港より連絡船がある。古く《延喜式》に牛牧の島として見える。東部の台地上に農村の元山,南西岸に漁村の尾山があり,岩礁の多い沿岸沖合は北浦(県北の海岸地方)随一の好漁場で,ブリの一本釣り,イワシ刺網,建網などが盛んなほか,貝類やウニ漁獲も多い。島の南西端の夢ヶ崎には1876年点灯の角島灯台があり,近くの大浜キャンプ村は夏の観光客でにぎわう。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「角島」の意味・わかりやすい解説

角島
つのしま

山口県北西端,響灘に浮かぶ島。下関市に属する。北東端の牧崎では小砂丘地でウシの放牧が行なわれる。東部は農業地区,南西部は漁業地区。周辺は好漁場。面積 3.93km2。人口 941 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「角島」の解説

角島

山口県下関市、豊北町の北西端から西に約1.5キロメートル、海士ヶ瀬戸を挟んだ日本海に浮かぶ島。「つのしま」と読む。面積約3.96平方キロメートル。本土とは角島大橋で結ばれている。島の歴史は古く、「延喜式」にも牛の放牧地として名前が見られる。プロレタリア文学者・中本たか子はこの島の出身。明治時代に点灯した白亜の灯台や白砂のビーチがあり、夏には観光客が多く訪れる。

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