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貞観政要 じょうがんせいようZhen-guan zheng-yao; Chên-kuan chêng-yao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

貞観政要
じょうがんせいよう
Zhen-guan zheng-yao; Chên-kuan chêng-yao

中国,唐の太宗と臣下の問答や彼らの事跡を分類編纂し,為政者の参考とした書。盛唐の史官呉競撰。景竜3 (709) 年中宗に上進,のち修訂して玄宗に再進した。君道,政体以下 40編,10巻。太宗の貞観年間 (627~649) は善政の典型と仰がれ,その言行は君臣の模範とされたので,この書は後代までよく読まれた。

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デジタル大辞泉の解説

じょうがんせいよう〔ヂヤウグワンセイエウ〕【貞観政要】

中国、太宗と家臣たちとの政治上の議論を集大成し、分類した書。10巻。唐の呉兢(ごきょう)撰。720年以降成立。治道の規範書として歴代皇帝の必読書とされ、日本でも広く読まれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうがんせいよう【貞観政要 Zhēn guān zhèng yāo】

中国,唐の貞観年間(627‐649)に,太宗が群臣と政治上の得失を問答した言や群臣たちの事跡を分類編纂した書。10巻,40編。唐の史家呉兢(670‐749)撰。武后,韋后による政治混乱を経験した時期に,〈貞観の治〉を顕彰せんとする意図で編まれたので,史書としてよりも治道の要諦を説いた政治教科書としての色彩が濃い。中国のみならず朝鮮や日本の為政者に広く読まれた。【礪波 護】

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大辞林 第三版の解説

じょうがんせいよう【貞観政要】

中国、唐の太宗と臣下との間の政治論議を分類・編集した書。一〇巻。唐の呉兢ごきようの撰。治政の範として中国・日本の為政者にひろく読まれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

貞観政要
じょうがんせいよう

中国、唐の太宗と魏徴(ぎちょう)・房玄齢(ぼうげんれい)ら群臣との政治上の議論を、君道、政体、任賢、求諫(きゅうかん)などの40編に分類、編集した書。10巻。唐の呉兢撰(ごきょうせん)。名君といわれる太宗李世民(りせいみん)は、国内の安定と民力の回復に力を注ぎ、貞観の治とよばれる太平の時代を生み出したが、好んで諫言(かんげん)に耳を傾け、専横に陥るのを防いだ。本書は、武韋(ぶい)の禍(か)の混乱を経験した中宗・玄宗の時代に、太宗の治政を鑑(かがみ)とする意図でつくられた。一説では、最初に中宗に上進した初進本がつくられ、ついで開元年間(713~741)の初めに、改編して玄宗に上進され、世に公にされた再進本がつくられた。以後、旧時代の為政者の教科書として、中国、朝鮮、日本で広く読まれた。通行本は、元末に戈直(かちょく)が校訂して注を施し、宋(そう)代知識人の本書に対する評論を集めた集論本であるが、誤脱が多く、編章も原本の順序とは相違があるといわれる。原田種成(たねしげ)は日本に伝わる唐鈔(とうしょう)本系統の写本などを基にして『貞観政要定本』(1962)をつくり、戈直本の誤りを正した。[金子修一]

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