賀陽豊年(読み)カヤノトヨトシ

デジタル大辞泉 「賀陽豊年」の意味・読み・例文・類語

かや‐の‐とよとし【賀陽豊年】

[751~815]平安初期の漢学者。「凌雲集」の撰進参加。その詩文は「凌雲集」「経国集」に収載

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精選版 日本国語大辞典 「賀陽豊年」の意味・読み・例文・類語

かや‐の‐とよとし【賀陽豊年】

  1. 平安初期の漢学者。東宮学士などを経て従四位下式部大輔となる。「凌雲集」の編纂について意見を徴された。没後、正四位下を贈られた。天平勝宝三~弘仁六年(七五一‐八一五

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改訂新版 世界大百科事典 「賀陽豊年」の意味・わかりやすい解説

賀陽豊年 (かやのとよとし)
生没年:751-815(天平勝宝3-弘仁6)

平安初期の文人。大学寮に学び,対策に及第。また芸亭(うんてい)で博く諸書を究めた。延暦年中(782-806)文章博士,また安殿(あて)親王の東宮学士を務め,即位後の平城(へいぜい)朝では式部大輔となる。平城天皇近習として薬子の乱後嵯峨朝に至ってみずから隠退したが,広才を惜しまれて播磨守に任ぜられる。任3年で病と称し帰京宇治の別業に住した。《凌雲集撰集に当たっては相談役となり《凌雲集》《経国集》に詩18首,賦1首が残る。桓武・平城朝の作が多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賀陽豊年」の意味・わかりやすい解説

賀陽豊年
かやのとよとし
(751―815)

平安初期の官人、文人。その祖先備中(びっちゅう)国賀夜郡の土豪の系譜であろうが、右京に本貫地のあった当時の代表的な知識人。経史に精通し、石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)の開いた芸亭(うんてい)院で数年間群書を極め、無類と評された。延暦(えんりゃく)年中(782~806)には文章博士(もんじょうはかせ)となり、797年(延暦16)には東宮学士(とうぐうがくし)を兼ねて皇太子安殿(あて)親王の養育にあたった。皇太子即位(平城(へいぜい)天皇)ののち、信任されて従(じゅ)四位下式部大輔(たいふ)となったが、藤原薬子(くすこ)らとは同調せず、平城上皇の平城遷御にも従わなかった。薬子の変ののち辞任せんとしたが、嵯峨(さが)天皇の信任を得て播磨守(はりまのかみ)となり、在任3年で病のため入京し、宇治別業で没した。とくに勅があり、尊崇した莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)の陵下に埋葬することが許され、正四位下が贈られたが、ときに人は国華を遇するにはなお不足であるといったという。

[佐藤宗諄]

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朝日日本歴史人物事典 「賀陽豊年」の解説

賀陽豊年

没年:弘仁6.6.27(815.8.5)
生年:天平勝宝3(751)
平安前期の官人,文人。若いころ,石上宅嗣の設けた芸亭院で学び,その文才は「釈道融,淡海三船もおよばない」と称えられた。延暦16(797)年東宮学士となり安殿親王(のちの平城天皇)の教授に当たって以来その信任を得,即位とともに式部大輔に任命されている。いわゆる薬子の変(810)にはかかわっていないが,事件後職を退いている。文才を惜しんだ嵯峨天皇の要請で播磨守となったが,弘仁4(813)年病のため帰京,以後宇治の別荘で余生を送っている。仁徳天皇と【G7EDF道稚郎子/うじのわきいらつこ】が,父応神天皇の死後,皇位を譲り合った話を聞き,「地下(あの世で)の臣」となることを願ったというが,平城上皇と嵯峨天皇との対立を重ね合わせての思いがあったのであろう。『凌雲集』(814)に収められた詩は小野岑守と同数で,嵯峨天皇に次いで多い。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀陽豊年」の解説

賀陽豊年 かやの-とよとし

751-815 奈良-平安時代前期の官吏。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)3年生まれ。石上宅嗣(いそのかみの-やかつぐ)の芸亭(うんてい)で研究,文章(もんじょう)博士となり,延暦(えんりゃく)16年(797)東宮学士をかねた。平城(へいぜい)天皇に信任された。薬子(くすこ)の変後隠退したが,嵯峨(さが)天皇にその才能をおしまれて播磨守(はりまのかみ)に任じられた。「凌雲集」などに詩を十数首のこす。弘仁(こうにん)6年6月27日死去。65歳。

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世界大百科事典(旧版)内の賀陽豊年の言及

【芸亭】より

…芸亭の〈芸〉は〈芸〉とは別字で,一種の香草をいい,虫害を防ぐために書巻の中に入れたことから書籍の意にも用いられる。平安初期の学者であった賀陽豊年(かやのとよとし)も,宅嗣に好遇されて数年間芸亭で諸書を閲覧したという。しかし,828年(天長5)に空海が作った綜芸種智院式(しゆげいしゆちいんしき)によれば,そのころにはすでに芸亭はほろびていたようである。…

※「賀陽豊年」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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