赤平(読み)アカビラ

デジタル大辞泉 「赤平」の意味・読み・例文・類語

あかびら【赤平】

北海道中央部、空知川流域の市。石狩炭田北部の炭鉱町として発展。人口1.3万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「赤平」の意味・読み・例文・類語

あかびら【赤平】

  1. 北海道中部、空知支庁北部の地名。明治二四年(一八九一)熊本県人の入植にはじまり、鉄道開通後、石狩炭田北部の炭鉱都市として栄えた。昭和二九年(一九五四市制

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤平」の意味・わかりやすい解説

赤平(市)
あかびら

北海道中央部、旧石狩炭田の北部にある都市。1954年(昭和29)市制施行。市名は、アイヌ語「フレピラ」(赤い崖(がけ))の意味と音からなるという説と、「アカピラ」という崖から出たという説とがある。市の中央を空知(そらち)川が西流、両岸に崖の発達する河岸段丘をもつ谷が、北の古い火山イルムケップ山と、南の空知山地の間に続く。JR根室(ねむろ)本線、国道38号は河岸段丘面を走り、これに沿い市街が展開する。滝川(たきかわ)市の東に接し、道央自動車道滝川インターチェンジが近い。1891年(明治24)熊本県人6名が南隣の歌志内(うたしない)から、山越え市域東部に入植したのが開拓の始めである。1913年(大正2)空知川沿いに鉄道が開通。鉄道の便と炭脈発見により、1918年以降、次々に炭鉱が開かれ、1938年(昭和13)住友赤平鉱の開坑で本格的な炭都に成長した。第二次世界大戦後の炭鉱好況期には人口も5万を超えた。しかし、炭鉱不況を迎えて閉山が相次ぎ、最後に残った住友石炭赤平炭鉱(旧、住友赤平鉱)も1994年(平成6)閉山した。産炭地振興対策として企業誘致に力を入れ、鞄(かばん)、木材食品などの工業があり、1995年第二工業団地が分譲開始。東部の河谷西部の平野部は農業地。レジャー施設にエルム高原リゾートなどがある。面積129.88平方キロメートル、人口9698(2020)。

[柏村一郎]

『『赤平八十年史』(1973・赤平市)』


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改訂新版 世界大百科事典 「赤平」の意味・わかりやすい解説

赤平[市] (あかびら)

北海道中央部,空知地方北部の市。1954年市制。人口1万2637(2010)。南部は赤平山(366m)を含む低い山嶺が走って歌志内市と境し,北部はイルムケップ山(865m)が占め,この間を空知川が西流して西は滝川市,東は芦別市と接する。石狩炭田北部の産炭地で,道有林を主とする森林が市域の70%を占め,空知川沿いに開ける耕地は,総面積の7%にとどまる。農業入植は1891年に始まり,1913年滝川~富良野間の鉄道(根室本線)開通以後開拓が進んだ。第1次世界大戦中の18年茂尻鉱の操業が開始され,37年以降豊里,赤間,赤平の各主要鉱が開坑されて鉱業都市として発展,一時は年産250万tの出炭量を示したが,67年以降閉山が相次ぎ,住友赤平鉱のみが94年まで操業していた。77年工業団地が造成され,81年までに約20の企業が誘致された。農業では野菜・畜産の振興がはかられている。人口は1959年の5万8000人をピークに減少に向かっている。
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百科事典マイペディア 「赤平」の意味・わかりやすい解説

赤平[市]【あかびら】

北海道中部の市。1954年市制。石狩川の支流空知川下流部,石狩炭田北部にあたる。1913年根室本線の開通以後,炭鉱開発が進んだが,最後の住友赤平鉱も1994年閉山し,同鉱跡では花卉(かき)栽培などの多角経営が行われている。皮革,木材,食料品などの工場があり,企業誘致も進められている。空知川右岸の緩傾斜地では,麦類,豆類,ジャガイモを産する。129.88km2。1万2637人(2010)。

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