南無阿弥陀仏の六字名号に節をつけて詠唱し,その節拍子にあわせて踊る宗教舞踊。その起源は空也にあるといわれるが,念仏が民間に広く普及したのは踊念仏のためであった。平安中期の《日本往生極楽記》がその功績をたたえていることは有名。踊念仏は大衆がいっしょに踊ることによって一体感を持つので,大念仏とも呼ばれ,また田楽と結合して〈やすらい踊〉ともなった。これは念仏が死霊を鎮める功力があるので,疫病などをおこす御霊(ごりよう)を鎮魂するための宗教的大衆運動になったのである。踊念仏はこの方向で鎮魂舞踊に発展し,やがて盆踊ともなるが,一方では宗教的エクスタシーを味わうための宗教舞踊になった。これは一遍のはじめた時宗の行儀として有名であり,歓喜踊躍の踊念仏といわれる。また鎮魂舞踊の踊念仏は二つに分かれ,一つは死霊亡霊を鎮める大念仏や虫送り念仏,古戦場の供養念仏になった。長篠古戦場の〈火踊〉の大念仏や三方原古戦場の〈遠州大念仏〉はいまもおこなわれている。しかし鎮魂舞踊の踊念仏は一方で今様や小歌の白拍子舞と結合して,娯楽性のつよい念仏踊になった。出雲のお国の創始した歌舞伎踊が念仏踊だったことは周知のごとくであるが,民衆の間でも〈風流踊念仏〉として民間芸能になり,現在も種々の仮装や仮面の意匠をこらしておこなわれている。これからもわかるように,踊念仏は多くの芸能の母胎になった。
執筆者:五来 重
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…智真の名を一遍と改めたのもこのときである。一遍は同行と別れ,名号の札をくばる賦算(ふさん)を続ける旅に出,四国・九州・山陽を巡り,京都で布教を行ったのち,79年(弘安2),信濃国の伴野(長野県佐久市)を訪れたとき,空也の先例にならって踊念仏を催したが,それが予想外の人気を集めたため,その後一遍の赴く所では必ず踊念仏が行われて,数多くの庶民がそれに加わるようになった。 遊行は奥州,関東と続き,82年には鎌倉に入ろうとしたが,幕府に阻止されて果たせなかった。…
…舞が選ばれた者や特別な資格を持つ者が少人数で舞うのに対し,踊りはだれでもが参加できるため群をなす場合が多く,場も特殊な舞台を必要としない。近世以前には腰鼓や編木(びんざさら)を奏しつつ躍る田楽躍,鉦(かね)や念仏でおどる踊念仏,小歌を誦する小歌踊,飾りや歌にくふうをこらした風流(ふりゆう)踊などがあり,用いる楽器により太鼓踊,羯鼓(かつこ)踊,銭太鼓踊,採物(とりもの)や被(かぶ)り物の違いにより棒踊,傘踊,笠踊,灯籠踊,綾踊,コキリコ踊,目的の違いにより盆踊,七夕踊,田植踊,雨乞踊,形態によって鹿(しし)踊,七福神踊などさまざまな名称で呼ばれる。なお近世の歌舞伎舞踊は舞と踊りの要素を巧みに融合させた舞台芸能であるが,踊りの要素が濃い部分はとくに踊り地と称し,最後の華やかな多勢の手踊りなどを総踊りともいう。…
…猿楽は,その後,能と狂言の二種を並存させながら幕府の式楽としての道をあゆむ。 その間,諸寺院では僧侶たちによる延年(えんねん)の芸能が行われ,民間では白拍子(しらびようし),曲舞(くせまい),幸若舞(こうわかまい)などの遊行芸能者による歌舞や,極楽往生を願う民衆が念仏を唱えつつ群舞する踊念仏,さらには若い男女が華麗な衣装と小道具を誇示して踊る風流踊(ふりゆうおどり)(風流)などが流行した。長い戦国の争乱ののち,徳川幕府が成立したのは1603年(慶長8)であったが,この年京の河原で名のりを挙げた出雲のお国の歌舞伎踊には,それら踊念仏や風流踊などの要素が多彩に取り込まれていた。…
…その点,法然の浄土宗では,念仏をとなえる衆生の努力を重視し,親鸞の真宗では,阿弥陀仏の絶対的な力を説くのと異なっている。一遍はそうした信仰を,賦算(ふさん)(紙の念仏の札を会う人々にくばること),踊念仏(踊りつつ念仏をとなえて法悦の境地を体験すること),遊行(ゆぎよう)(定住せず各地を修行と布教のために巡り歩くこと),という方法によって実践した。一遍は,寺を建てたり新しい宗派を開いたりする意志を持たなかったが,その教えに接した人々は全国のさまざまな階層に及び,各地で活動を続けた。…
…民俗芸能。法華宗(日蓮宗)徒による一種の念仏踊(踊念仏)で,南無妙法蓮華経の題目を唱えながら踊る。京都市左京区松ヶ崎涌泉寺や京都府向日(むこう)市鶏冠井(かいで)などで行われている。…
…空也は民間に念仏を広め,民間仏教史上に大きな足跡を残したが,その念仏は鎮魂呪術的な性格と機能をもったものとして民間に受容された。後世,一遍によって全国に広められた踊念仏の起源は空也念仏にあるとされるが,一遍の踊念仏にも死霊鎮送の性格がみられる。念仏は,源信らの二十五三昧結衆の起請文にもうかがわれるように,はやくから葬送や死者追善の儀礼と密接な関係をもっていたが,念仏が葬送・追善と結びつく一因は,念仏には罪障消除の功徳があると考えられたからである。…
…〈鉢敲〉とも書く。念仏踊(踊念仏)の一種。瓢簞(ひようたん)をたたき念仏を唱えて踊る。…
…朴姓は朝鮮では金姓などと並ぶ大姓になっている。また,新羅の傑僧元暁はパガジで作った道具を用い,踊念仏を創始して村々を回ったという(日本の空也上人の踊念仏の源流とも考えられる)。朝鮮の仮面劇の面は,今日でもパガジで作ることが多い。…
…室町時代後期の風流踊を支えた層と,当時の能・狂言を享受した層とは共通で,風流踊の趣向には能の曲が転用され,その入破(いりは)(キリ)が踊りの中で演じられたことも多い。
[民俗芸能の風流]
京都の祇園会の山鉾,日立市神峰神社の〈日立の風流物〉に代表される作り物の風流はもとより,風流踊の系譜を引く太鼓踊・羯鼓踊(かつこおどり)・花踊・雨乞踊,囃子物の伝統である鷺舞などの動物仮装風流,胸に羯鼓をつけた一人立ちの獅子舞・鹿踊(ししおどり)をはじめ,念仏踊(踊念仏)や盆踊など,全国の民俗芸能には風流の精神を受け継いだ芸能が多い。民俗芸能を分類する場合,それらを一括して〈風流系芸能〉と称するが,その芸態は一様ではない。…
…踊念仏の一種。江戸時代初期から中期にかけて行われた。…
…年に一度死者の霊がこの世に戻り,供養を受けるという盂蘭盆会にともなう民俗行事として発展したが,近年は宗教的意味が薄れ,誰でもが参加できる共同体の娯楽行事として行われる面が強い。
[歴史]
死者供養としての念仏踊(踊念仏)は,空也(くうや),一遍(いつぺん)などを祖とする念仏聖によって早くから行われていたが,共同体が自分たちの手で先祖供養のために踊りを行ったのは,中世後期以降と考えられる。その姿は《看聞日記》に念仏拍物(ねんぶつはやしもの)として見え,京都近郊の伏見郷の郷民が風流(ふりゆう)の作り物を念仏で囃し,郷内の村々を互いに往き来して趣向を競いあう姿が記されている。…
…長年全国を踏査して多くの研究成果をあげた本田安次(1906‐ )は,これを整理して次のような種目分類を行った。 (1)神楽 (a)巫女(みこ)神楽,(b)出雲流神楽,(c)伊勢流神楽,(d)獅子神楽(山伏神楽・番楽(ばんがく),太神楽(だいかぐら)),(2)田楽 (a)予祝の田遊(田植踊),(b)御田植神事(田舞・田楽躍),(3)風流(ふりゆう) (a)念仏踊(踊念仏),(b)盆踊,(c)太鼓踊,(d)羯鼓(かつこ)獅子舞,(e)小歌踊,(f)綾踊,(g)つくりもの風流,(h)仮装風流,(i)練り風流,(4)祝福芸 (a)来訪神,(b)千秋万歳(せんずまんざい),(c)語り物(幸若舞(こうわかまい)・題目立(だいもくたて)),(5)外来脈 (a)伎楽・獅子舞,(b)舞楽,(c)延年,(d)二十五菩薩来迎会,(e)鬼舞・仏舞,(f)散楽(さんがく)(猿楽),(g)能・狂言,(h)人形芝居,(i)歌舞伎(《図録日本の芸能》所収)。 以上,日本の民俗芸能を網羅・通観しての適切な分類だが,ここではこれを基本に踏まえながら,多少の整理を加えつつ歴史的な解説を行ってみる。…
※「踊り念仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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