踏歌の節会(読み)トウカノセチエ

デジタル大辞泉 「踏歌の節会」の意味・読み・例文・類語

とうか‐の‐せちえ〔タフカ‐セチヱ〕【踏歌の節会】

平安時代正月宮中踏歌を奏する行事殿上酒宴が行われた。

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精選版 日本国語大辞典 「踏歌の節会」の意味・読み・例文・類語

とうか【踏歌】 の 節会(せちえ・せつえ)

  1. 平安時代、正月に宮廷で踏歌を奏する公事(くじ)。初め一六日に豊楽(ぶらく)殿で行なわれた。のち紫宸殿において一四日または一五日に男踏歌を、一六日に女踏歌を行なった。男踏歌は、天皇が出御して王卿に酒を賜い、次いで国栖(くず)歌笛を奏し、贄(にえ)を献じ、大歌所の奏歌ののち舞人が踏歌を行なう。宴が終わって王卿以下に祿を賜わる。女踏歌もほぼこれに準ずる。男踏歌は中世に廃絶した。あらればしりの豊明(とよのあかり)。《 季語新年 》 〔拾芥抄(13‐14C)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「踏歌の節会」の意味・わかりやすい解説

踏歌の節会 (とうかのせちえ)

正月の祝儀として,天皇出席のもと,長寿を祝い,万民の豊年を祈って群集舞踏する踏歌を見る節会。中国の行事の渡来であり,中国では唐代,上元の15,16,17日に三夜踏歌を行う。日本では天武天皇3年大極殿に拝朝ののち,男女の別なく行われたとも伝えられるが,持統7年(693)正月の条に〈漢人等奏踏歌〉とみえるのが《日本書紀》の初見。節会には1月14日の男踏歌,同16日の女踏歌がある。男踏歌は,天皇が清涼殿の東の孫廂に,公卿等は長橋に着座し,東庭に参入の歌人の踏歌を見,東の簀子に着座し酒肴を賜う。踏歌の人々は踏歌を周旋三度し,祝詞歌曲を奏する。歌人たちに内侍が綿を祝儀として与える。歌人は催馬楽(さいばら)の〈竹河〉を歌い,舞人たちは,さらに外へ出て京中の各所で踏歌を行い,水駅(みずうまや)で休息し,翌15日の夜明け方,帰ってくる。女踏歌は,16日に行われ,内教坊(ないきようぼう)の舞妓40人が紫宸殿の南庭をめぐり,左右に分かれて校書殿の東庭にとどまり歌い舞う。男踏歌は円融天皇の983年(永観1)ころより廃絶し,現在は熱田神宮など,社寺の踏歌に遺風をとどめている。また女踏歌はそのまま存続したが,一時中絶したのち,形式的に再興された。
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