国樔、国巣、国主とも書く。もとは大和(やまと)王権に未服属の山の民であったらしい。記紀によれば、吉野の国栖(国樔)は、石穂押別(いわほおしわけ)の神の子孫と称するが、吉野の山中に住み、穴より出入りし、「尾生(おお)うるひと」とみなされていた。おそらく吉野の山で樵(きこり)や狩猟、川魚などの漁労に従事した山の民であったろう。『古事記』応神(おうじん)天皇の巻には、吉野の国栖が横臼(よくす)をつくり、大御酒(おおみき)を醸(か)み、それを献上するとき、口鼓(くちつづみ)を撃ち伎(わざ)をして、寿(ことほ)ぎの歌を歌ったという。この歌は、国栖らが大贄(おおにえ)(栗(くり)、菌(きのこ)、年魚(あゆ)などの土毛(どもう)類)を献(たてまつ)るとき、いまに至るまで伝えたというもので、これがいわゆる践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)に奏される「古風(こふう)」とよばれる国栖の舞であろう。『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には、允恭(いんぎょう)天皇のとき、御贄(みにえ)を進めた際、「神態(かみわざ)」を仕え奉ったという異伝を記している。「醸(か)みし大御酒 美味(うまら)に 聞(きこ)しもち食(お)せ まろが父(ち)」という国栖の歌は『西宮記(さいぐうき)』にも詞章がやや崩れながら伝えられているが、この歌の末尾に、「まろが父(親)」とあるのは、王化を慕って、心より臣従するという気持ちを強調するもので、中華思想の宣揚ないしは天皇の権威の強さをことさらに伝えるものであった。この国栖も平安時代には山城(やましろ)国(京都府)綴喜(つづき)郡に移住させられて奉仕させられたようである。ただ国栖とよばれるのは、吉野の国栖だけではないようで、『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』では、山の佐伯(さえき)、野の佐伯を国巣(くず)、または土蜘蛛(つちぐも)、八握脛(やつかはぎ)とよび、土窟(つちむろ)に住み、狼(おおかみ)の性、梟(ふくろう)の情をもつ人々としている。つまり、一般の農耕民と生活、風俗、習慣を異にし、かつて「まつろわぬひと」とよばれた山の民が国栖であったと考えられる。
[井上辰雄]
『林屋辰三郎著『中世芸能史の研究』(1960・岩波書店)』
奈良県南部、吉野郡吉野町東部の地区。旧国栖村。吉野川と高見(たかみ)川の合流地点からやや上流の段丘上に位置する。伊勢(いせ)街道から東熊野街道が分岐する交通の要地で、林業のほか国栖紙を産する。国巣(くにす)、国樔(くず)とも書き『古事記』『日本書紀』に記されている。旧正月14日に浄見原神社(きよみはらじんじゃ)で行われる国栖奏(くずそう)は、奈良・平安時代に宮中の節会(せちえ)に参内し奏したものである。国栖奏と、雨乞(あまご)いのための国栖の太鼓踊りは県の無形民俗文化財に指定されている。
[菊地一郎]
能の曲目。五番目物、あるいは四番目物にも。五流現行曲。作者不明。金春(こんぱる)系の能とされる。吉野山に迷う亡命の天子(子方)とその一行(ワキ)を助け、かくまう老人夫婦(シテとツレ)は、蔵王権現(ごんげん)の化身である。鮎(あゆ)を吉野川の激流に放って吉凶を占う鮮烈な「鮎の段」の演技、天子を船に隠して追っ手の兵(アイ)を追い返す痛快な問答の前段、天女(後ツレ)が舞い、蔵王権現(後シテ)が豪快に未来を祝福する後段。劇的な緊迫と、能のもつ古雅な演出、神韻縹渺(ひょうびょう)の趣(おもむき)の融和した特色ある作品。大海人(おおあま)皇子(天武(てんむ)天皇)と大友皇子(弘文(こうぶん)天皇)の皇位継承の争いである壬申(じんしん)の乱を扱った能である。
[増田正造]
古代,奈良県吉野地方にいた土着の住民。国樔,国巣とも書き,国栖人ともいう。《古事記》《日本書紀》で神武天皇の伝説中に石押分(磐排別)(いわおしわけ)の子を〈吉野国巣の祖〉と注しているのが文献上の初見。《日本書紀》応神19年条に,吉野宮へ行幸したときに国樔人が来朝し,醴酒(こざけ)を献じて歌を歌ったと伝える。同条では人となり淳朴で山の菓やカエルを食べたという。その後国栖は栗・年魚(あゆ)などの産物を御贄(みにえ)に貢進し風俗歌を奉仕したようで,《延喜式》では宮廷の諸節会や大嘗祭において吉野国栖が御贄を献じ歌笛を奏することが例とされている。これを〈国栖の奏〉というが,平安後期以降しだいに廃絶していった。現在では吉野町大字南国栖の浄見原神社で毎年旧正月に国栖奏を奉納する。国栖の地には中世に国栖荘があり,近世には厚手の国栖紙を産出した。なお《常陸国風土記》でも土着の先住民を〈国巣〉としているように,国栖は異俗をもつ土着先住の民の通称でもあった。
執筆者:佐藤 信
能の曲名。四・五番目物。作者不明。前ジテは国栖の老人。後ジテは蔵王権現。国栖というのは古代の吉野の山人の族名。浄見原(きよみばら)の天皇(天武天皇)(子方)は,大友皇子の襲撃を避けて吉野山に分け入る。川舟を操る老人夫婦(前ジテ・ツレ)の家にかくまわれた天皇は,焼いてくれた国栖魚で食事をし,片身を残して老人に下げ渡す。見ると魚は生き生きとしているので,老人が占いをしてみようと川に放すと,魚は生き返って泳いで行く(〈鮎ノ段〉)。そこへ追っ手がかかるが,老人は舟底に天皇を隠し,言葉たくみにあしらった末,おどしつけて追い返す。夜に入ると天女(ツレ)が現れて舞を舞う(〈下(さが)リ端(は)ノ舞〉)。蔵王権現も現れて威力を示し,天武の御代の将来を祝福する(〈ノリ地〉)。〈鮎ノ段〉とそれに続く老人のかけひきが中心。下リ端ノ舞は他の能にない舞事(まいごと)である。
執筆者:横道 万里雄
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