改訂新版 世界大百科事典 「農業補助金」の意味・わかりやすい解説
農業補助金 (のうぎょうほじょきん)
政府の補助金には大別して二つの機能があり,第1は国家の必要とする一定の行政水準を維持するため財政力の貧困な地方公共団体に財政的援助を与える財政調整的機能であり,第2は後進的な産業や保護育成すべき産業,企業あるいは個人の経営などに対する産業奨励的機能である。農業補助金は後者に属する。農業補助金の一般的特徴は,第1に国の補助金総額のなかに占める割合が高いこと,第2に零細な補助金が多く,補助対象が多岐にわたり補助件数が非常に多いこと,第3に日本の農業の特質である零細な農業経営の存在が補助金支出を必然化していること,第4に農業補助金の運用が政党政治の動向とかなり密接に関連していること,第5に国から地方公共団体を通じ末端の農民に至る縦割農業行政機構の存在と密接に関連して存在していること,などである。
歴史
農業補助金の歴史は古く,最初の農業補助金は1900年に創設された農会補助金であった。この時期は寄生地主制の確立期にあたり,地主による農事改良指導などの後退に対応して,系統農会が農業補助金の交付を受け,その指導に当たるべく創設されたものであった。その後農業補助金は,第1次大戦後の時期,昭和農業恐慌期,第2次大戦期,戦後食糧増産期,農業基本法農政期,総合農政期などを画期として増加を示し,またその内容も大きく変化している。
第1次大戦後の時期には米騒動が起こり小作争議が激発した。そのため国は米穀法の制定,農地政策の展開とにあわせて開墾や用排水改良事業などに対する補助金支出を拡充するための制度を創設した。さらに昭和農業恐慌期には救農土木事業や農村経済更正運動の実施のための財政支出を行うとともに,農村救済を目的とした多様な零細な補助金を支出するようになった。第2次大戦期には食糧の確保をねらいとして,農産物価格対策のための補助金が激増するとともに,戦時食糧増産対策のため補助金支出が大幅に増加した。第2次大戦後には農地改革が実施される一方,経済復興のために非農業部門への財政支出が激増し,農業補助金は大幅に切り捨てられただけではなく,農業への課税が強化された。しかし,1950年代に入ると食糧増産が政策課題とされ,土地改良事業をはじめとして農業補助金が増増してくる。61年に農業基本法が制定され,農業の構造改善と生産性の向上ならびに農業生産の選択的拡大が政策課題にされるに及び,補助金の内容も従来とは大きく変わり,農業機械化の促進,機械化促進に必要な農業生産基盤整備などに重点がおかれるようになってきた。ついで1960年代末には米の豊作が続き,その結果,70年に総合農政への転換が行われた。その中心は水稲の生産調整,転作政策であり,その推進のために膨大な補助金支出が行われることとなった。
以上にみられるように農業補助金は,1930年代以降のいわゆる国家独占資本主義段階に入るとともに急激に増加してきており,この段階においては,農業の自律的発展が困難となり,補助金という手段による保護が必然となってきたことを示している。もちろん,こうした傾向はひとり日本農業においてみられるだけでなく,先進資本主義諸国に共通する現象である。
動向
近年,農業補助金の整理合理化が,第二臨時行政調査会(臨調)の答申などにみられるように,過保護農政批判と関連して提起されてきた。その対応策として二つの動向が特徴としてみられる。第1は農林水産省所管の農林水産関係の補助金件数が大幅に統合され減少してきていることである。79年には1255件であったものが83年には562件に半減し,総補助金件数に占める割合も32.7%から21.2%へ低下している。また補助金総額に占める農林水産関係補助金の割合もわずかではあるが低下し,農業補助金の整理合理化が進められていることがわかる。第2に,農業補助金の運用に改善が加えられつつあることである。その要点は地域農業の実情に即し,地域ごとの農民の自主性発揮が強調され,それに必要な補助金行政の手法の変更,たとえばワンセット方式を改め種々の項目別に分けられたなかから選択できるメニュー方式を導入するなどの試みが行われている。しかし,こうした近年の特徴がみられるものの農業構造の改善は容易でなく,なお農業補助金は存続することであろう。
→補助金
執筆者:今村 奈良臣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報