人の自由に通行できる場所で、確たる動機がないまま、通りすがりの不特定の相手に凶器を使用するなどして殺人、傷害、暴行などを引き起こす犯罪。古くは、家などを通り過ぎ、その際に遭遇した人々に災害をもたらす妖怪(ようかい)としての「通物(とほりもの)」の別称であった。このとき、通り魔の「通り」は「通り過ぎる」という意味であるが、現在では「道路や通路、往来、公共の場」と解釈されることが多い。また、罪種として殺人、傷害、暴行に加え器物損壊を含む場合があるが、これは鋏(はさみ)などを用いて通りすがりに女性の服を切るといった犯罪を考慮に入れたものと考えられる。しかし痴漢行為や強制猥褻(わいせつ)の延長のような場合、「確たる動機がないまま」という部分と矛盾する可能性があるので、器物損壊は定義から除外されることが多い。確たる動機がないという点については、これはまったく動機がないことを意味しているのではなく、その動機が正常心理学的に理解しがたいこと、すなわち加害者の欲求や目的に対して実行された犯罪行為を合理的に結び付けるのが困難であることを意味している。
[堀越直仁]
通り魔犯罪は犯行形態によって単発犯、スプリー犯、連続犯に大別される。
単発犯は1件の犯行が1か所で行われるもので、連続犯は同一の加害者がしばしば長期にわたって複数の場所で何度も犯行を繰り返すものである。1997年(平成9)に5人の児童が殺傷された神戸児童連続殺傷事件はこの連続犯にあたる。
スプリーspreeとは、いっときの衝動にまかせた乱痴気騒ぎをさし「ばか騒ぎ」や「お祭り騒ぎ」「浮かれ騒ぎ」とも訳されることばである。スプリー犯は単発犯と近いが、単発犯が1件の犯行で構成されるのに対し、こちらはしばしば複数の場所で比較的短期間(感情の冷却期間をもたない程度で多くの場合、24時間以内)にわたる2件以上の犯行によって特徴づけられる。1999年に8人の被害者を出した池袋通り魔事件、15人の被害者を出した同年の下関通り魔事件、17人の被害者を出した2008年(平成20)の秋葉原通り魔事件などが、このスプリー犯タイプに分類される。
通り魔犯罪の要因として、単発犯およびスプリー犯はパーソナリティー障害、精神疾患、長期にわたる不満、薬物依存を背景にした妄想や攻撃衝動などが比較的多いのに対し、連続犯はいたずらからサディズムにわたる性的要因が多い。とはいえ、通り魔犯罪自体は頻発する犯罪ではない(警察庁の犯罪趨勢(すうせい)などによれば、殺人や傷害を伴う通り魔犯罪者はおおむね年間10人程度現れる)ので、これらはごく少ない犯罪のなかでの相対的な多さであることに注意しなければならないだろう。また、単発犯とスプリー犯は昼間の犯行が比較的多く、犯行当日あるいは1週間以内に逮捕される者がほとんどである。一方で連続犯は夜間の犯行が多く、逃走のための準備を入念にしている場合がしばしばあり、最初の犯行から逮捕まで100日以上かかる場合もある。
[堀越直仁]
通り魔は都市化と関係づけられることが多い。これは、通り魔犯罪が主として不特定の見知らぬ相手を攻撃対象とするものであり、同時にその動機が不明確であることに由来する。地域住民の関係が濃密で皆が知り合い同士というような相互に知名性の高い社会では、人々が接する他者はよく見知った相手である。そのため、他者に対する不満が生じたとしても、それは個別的、具体的に形成される。したがって恨む相手も特定の個人となり動機も明確になるため、通り魔の定義を満たす犯罪が生まれる社会的環境が準備されにくい。一方で都市社会は、生活者同士の関係が希薄で相互に匿名性が高い傾向にある。人間関係が希薄で他者と深いかかわりをもたないがゆえに、特定の他者に積年の恨みを募らせるような事態が起こりにくく、不満や恨みは具体的なだれかに向けられるものから抽象的で漠然としたものとなり、不明確な動機を導くに至る。また、匿名性の高さは、通り魔のような加害者と被害者が互いに見知らぬ関係にある犯罪の促進要因ともなる。
[堀越直仁]
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