洒落本。山東京伝作。1787年(天明7)刊。1冊。作者の当り作の黄表紙《江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)》(1785)の人物名をそのまま移している。うぬぼれの半可通仇気屋(あだきや)艶次郎が,たいこ医者わる井志庵と,とり巻きの北里(きたり)喜之介宅を訪れ,遊女あがりの女房を交えて種々うわさ話をしたあと,3人は吉原に出かけて松田屋にあがって遊ぶ。艶次郎は遊女おす川にふられ,志庵は泥酔し,喜之介は新造をあげて,情人の遊女と忍び会い,夜が明けて3人が帰って行くまでを描く。前半話題にのぼるのは吉原を中心とする社交界の最新の事情,トピックであり,後半は吉原の大店松葉屋の内部を精細に写す。おす川は7代目瀬川である。また,遊女遊客の愛情のこまやかさや痴話げんかの場面をも描く。作者の通(つう)の意識に裏づけられた細密な写実や巧妙な会話の流れなどは,天明期洒落本の頂点を示すもので,後の作品への影響も大きかった。
執筆者:水野 稔
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洒落本(しゃれぼん)。1787年(天明7)刊。山東京伝作、山東鶏告(けいこう)画。書名の総籬は吉原の大店(おおみせ)の意で、吉原の大店松葉屋の世界を背景にその言語、風俗を描出している。前々年刊行の黄表紙『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』中の人物艶次郎(えんじろう)、北里喜之介(きたりきのすけ)、悪井志庵(わるいしあん)の3人を再登場させ、喜之介の自宅で遊里の最新の流行やうわさ話を展開する発端から、やがて3人がそろって吉原松田屋に出かけ、艶次郎はおす川に冷遇され、志庵は酔いつぶれ、喜之介は厚遇される三人三様の遊びの世界を描く。構想はすでに洒落本の類型ではあるが、洗練された唯美的な感覚が全編を貫き、細部にわたる徹底した写実の姿勢は、遊里通の京伝をして初めて可能なことであり、洒落本の写実的傾向の頂点にたつ代表作である。
[棚橋正博]
『水野稔校注『日本古典文学大系59 黄表紙・洒落本集』(1958・岩波書店)』
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江戸中期の洒落本。1冊。山東京伝作・画。1787年(天明7)刊。総籬は大籬ともいい,江戸吉原の最高の格式の遊女屋のことで,最新の通言で総籬を描く,という意。京伝の当り作である黄表紙「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」(1785)の作中人物艶次郎・北里喜之介・わる井志庵などをそのまま登場させたり,松葉屋瀬川などモデルのある人物を登場させている。「新日本古典文学大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…しかもこれら〈田舎者〉が,江戸者ぶりをひけらかすことに対して,江戸生れどうしの強烈な〈みうち〉意識が芽生え,やがてこの面からも江戸っ子意識の成立が促されたといえよう。1787年の洒落本《通言総籬(つうげんそうまがき)》に,〈金の魚虎(しやちほこ)をにらんで,水道の水を産湯に浴て,御膝元に生れ出ては,拝搗(おがみづき)の米を喰て,乳母日傘にて長(ひととなり)(中略),本町の角屋敷をなげて大門を打は,人の心の花にぞありける。江戸っ子の根生骨,万事に渡る日本ばしの真中から〉とある。…
※「通言総籬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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