日本歴史地名大系 「運天港」の解説
運天港
うんてんこう
流刑地の伊豆大島を脱出した源為朝が暴風雨のなかをかいくぐって当港に漂着、為朝が琉球滞在中に大里按司の妹との間にもうけた子がのちの舜天王となったという伝説があるように(「中山世譜」巻三など)、当港は早くから沖縄島北部の要港となっており、「海東諸国紀」所載の琉球国之図にも「雲見泊 要津」とみえる。奄美大島で嘉靖一四年(一五三五)頃から琉球王府に対する謀反の動きがあることを知った尚清王は、同一六年二月一三日、自ら奄美大島遠征のため大船五〇余艘を率いて出帆、同日「運天湊」に着岸して風を待ち、同月一六日に奄美大島に向けて出港したという(「中山世鑑」巻五)。慶長一四年(一六〇九)の薩摩島津氏の琉球侵攻では、三月下旬に島津勢は当港や古宇利島に軍船を集結させて停泊、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報