平安時代の賀茂斎院,歌人。村上天皇第10皇女。母は藤原師輔の娘安子。975年(天延3)に11歳で賀茂神社の斎院になり,以後57年間,円融・花山・一条・三条・後一条の5朝に斎院として奉仕し,大斎院と称される。斎院には,宰相,馬内侍,斎院中務,斎院中将,右近,などの多数の女房を集め,〈歌のかみ〉〈物語のかみ〉を定めたりし,皇后定子(藤原定子),中宮彰子(上東門院)とならんで,後宮文芸の発展に寄与した。《拾遺和歌集》以後の勅撰集に37首入集し,家集《大斎院前の御集》《大斎院御集》《発心和歌集》を残す。《大斎院前の御集》《大斎院御集》は,選子個人の家集ではなく,定子や彰子の後宮を《枕草子》や《紫式部日記》が記録するように,斎院サロンのありさまを伝え,《発心和歌集》は,斎院でありながら仏教に帰依し,《法華経》の法文を題にして詠んだ釈教歌55首を収めているが,釈教歌としても初期の作品に属し,家集は,みな文学史上特異な作品として注目される。
執筆者:上野 理
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村上(むらかみ)天皇第10皇女で、母は中宮安子。975年(天延3)賀茂(かも)の斎院(さいいん)となり、1031年(長元4)退下するまで、円融(えんゆう)・花山(かざん)・一条(いちじょう)・三条・後一条の5代57年間在任。大(だい)斎院と称された。退下後出家。紫野(むらさきの)の世俗を離れた地で、定子・彰子後宮と並び称されるがそれとは異質のサロンを形成、領導した。内親王を中心とする女房ほかの人々が日常生活を情趣化し詠歌した、斎院集団の記録が『大斎院前(さき)の御集(ぎょしゅう)』『大斎院御集』で、前者は内親王21~23歳、後者は51~55歳にあたる同一性格の家集である。また、内親王には、和歌により仏に結縁(けちえん)するための『発心(ほっしん)和歌集』(1012成立)がある。『拾遺集』以下の勅撰(ちょくせん)集に38首入集(にっしゅう)する。
思へども忌(い)むといふなることなればそなたにむきてねをのみぞなく
[杉谷寿郎]
(中周子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…年中行事である賀茂祭(葵祭)には斎院御禊,祭りの当日の渡御,翌日の還立(かえりだち)(祭りのかえさ)といったぐあいに重要任務を帯びた。歴代の斎院の中でも村上天皇皇女の選子内親王は,円融から後一条天皇までの5代,50余年間にわたって在職し,もって大斎院と称された。さらに選子に仕えた女房たちの中には優れた歌人が輩出し,一つの文芸サロンを形成した。…
※「選子内親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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