子が親に似るという現象を説明するために,親から子に伝わる情報があるという考えは,古くから存在したが,遺伝情報という概念が,科学的な意味で形をなしたのはメンデルの法則以後と考えてよい。〈独立の法則〉〈分離の法則〉〈優劣の法則〉の確立によって,両親から伝わった遺伝情報が,子の世代で実際に発現するかどうかにかかわりなく,保存され,次世代に伝えられることが明らかになった。ある生物のもつ独特の構造や機能を作るために必要な情報は莫大な量に違いないが,この情報も結局はある程度の独立性をもった素情報ともいうべき〈遺伝子〉の集合として理解できることを示唆したのもG.J.メンデルの功績である。20世紀に入ってアメリカのT.H.モーガンらは,遺伝子のもつ情報の変化(突然変異)がおこること,およびその“異常な”情報がメンデルの法則に従って伝達することを示した。さらに彼らは,ある遺伝子の間ではかならずしも〈独立の法則〉があてはまらず,連鎖や交叉(こうさ)という現象がおこることを示し,その結果,一群の遺伝子は規則正しく直線状に配列していることが明らかにされた。遺伝情報は,けっしてでたらめに詰め込まれているわけではなく,規則正しく整理された形で存在しているのである。細胞分裂のときに見られる染色体構造が遺伝情報の整然とした配列を反映していることは古くから認められていた。遺伝情報と遺伝的形質との間の関係は,ビードルG.W.Beadleらのアカパンカビを用いた遺伝生化学的研究により,〈一つの遺伝子は一つの酵素を作る〉という概念が誕生したことで,さらに具体的に理解できるようになった。一方,遺伝情報を実際に蓄えている物質については,20世紀中ごろにおこなわれた一連の実験により,DNA(デオキシリボ核酸)がその本体であることが確定した。たとえば,肺炎双球菌の無毒株が有毒株から精製したDNAを取り込むことで有毒株になる(形質転換)というO.T.エーブリーらの実験,そして,大腸菌のウイルスが増殖するためには,タンパク質ではなくDNAが必要であることを証明したハーシーA.D.HersheyとチェースM.Chaseの実験などである。
DNAが遺伝物質であることが確定すると,次にDNA分子の中にどのように情報が蓄えられ,その情報が解読されてタンパク質さらには生体の高次構造や機能が作られるのか,さらにDNAの正確な複製はいかにしておこるのかということが問題となった。1953年に発表されたDNAの構造に関するJ.D.ワトソンとF.H.C.クリックのモデルは,これらの問題の解決にとって,画期的進歩をもたらすものであった。DNAはヌクレオチドという単位がくり返して結合したひも状分子が2本,対になってらせん構造を作っている。この対の形成には,4種類のヌクレオチド(アデニン,チミン,グアニン,シトシンを塩基としてもつ。それぞれA,T,G,Cと略記する)の間の特異的水素結合が関与しており,AはTと,GはCとのみ結合するという厳密な規則性が存在する。DNAの複製に際しては,2本のひも状分子のそれぞれが鋳型となり,A-T,G-Cの規則に従ってヌクレオチドが鋳型上に配列,重合することによって,新しい2組の全く同じ構造をもつDNAができるということが実証され,遺伝物質の正確な複製という問題は,比較的単純な機構で説明できることがわかった。一方,DNAに含まれる遺伝情報は,4種類のヌクレオチドの配列順序として表されるということも明らかにされた。この情報のうち,最も基本的なものとして,タンパク質を構成するアミノ酸の配列順序(一次構造)を指定する情報があり,とくに遺伝暗号と呼ばれる。DNAのヌクレオチド配列には,アミノ酸配列のほかにも,転写や翻訳の開始や終結,それらの制御,DNA分子の複製などに必要な情報がおさめられている。さらに,突然変異や一つの染色体上の遺伝情報の組換えについても,DNAの塩基配列の変化やDNA分子のつなぎ換えというように,分子レベルでの理解ができるようになった。DNAに含まれる遺伝情報は,タンパク質の一次構造を決める情報(構造遺伝子)とタンパク質などの生体高分子とDNAの一定の領域の特異的相互作用を決定する情報(オペレーター,プロモーターなど)の2種類からなっている。これだけの情報で,生体の高次構造の構築や,発生・分化がおこるということはきわめて興味深いことであり,現代の生物学はさまざまなモデル系を用いて,これらの機構の解明に取り組んでいる。細菌から人間に至るまで,ほぼすべての生物はDNAを遺伝物質として用いている。これは,いうまでもなく生物進化の反映であるわけだが,この多様で多彩な進化を可能にしたのは,遺伝物質としてのDNAの固有の性質によるところが大きい。“最初の生物”がDNAを遺伝情報を蓄える物質として選んだ過程については,ほとんど何もわかっていないが,結果としてその選択は賢明であったといえよう。
執筆者:丹羽 修身
DNA上に塩基配列として書き込まれている遺伝情報を,RNA分子として読み出す過程を転写transcriptionという。DNAを鋳型にRNAポリメラーゼの働きで,リボヌクレオシド三リン酸を基質にRNAが合成される。RNAポリメラーゼが,DNA上の転写開始を指令する部位(プロモーターpromoter)にまず結合し,DNAの二重鎖を局所的に解離させ,そのうちの1本の鎖を鋳型に相補的なRNAを合成する。すなわちDNA上のC,T,G,Aの各塩基が,それぞれと相補的に対合するG,A,C,U(ウラシル)としてRNA上に写し取られる。RNA鎖は5′末端から3′末端の方向へ伸長し,DNA上の転写終結を指令する塩基配列部位で,タンパク質性の転写終結因子の介在のもとに合成を停止し,DNAより離れていく。
原核生物の場合,関連の深い数個程度の遺伝子が,ひとつづきのメッセンジャーRNA(mRNAと略記)として転写されることが多いが,この遺伝子群のことをオペロンoperonと呼び,各遺伝子をシストロンcistronと呼ぶ。オペロン単位で転写されたmRNAも,リボソーム上でのタンパク質合成の段階では,各シストロン別に翻訳される。真核生物の場合,それぞれの遺伝子が別個の単位として転写されるのが一般的であり,原核生物には見られない以下の特徴も存在する。真核生物の多くのタンパク質の遺伝子の内部には,タンパク質に翻訳されることのない余分な塩基配列(介在配列,イントロンintron)が入り込んでいる。したがって核内で転写された直後のRNA分子(heterogeneous nuclear)にも,アミノ酸配列を指定する情報の間に余分な塩基配列が割り込んでおり,そのままの形では目的とするタンパク質の情報にはなっていない。この余分な配列がRNA上で切り取られ,一つのタンパク質の情報が,ひとつづきの塩基配列として完成する過程をスプライシングsplicingと呼ぶ。さらに,真核生物の多くのmRNAの5′末端には7-メチルグアノシンからなるキャップ構造が存在し,3′末端側にはpolyA構造が付加されている(詳しくは〈RNA〉の項目のメッセンジャーRNAの部分を参照)。
生体内のタンパク質は必要とされる時期に適量合成され,必要量に達すると速やかにその合成が停止する。mRNAは一般に代謝的に不安定であり,タンパク質の合成に見られるこの精密な制御の機構においては,mRNAの合成開始の制御が中心的な役割を果たす。すなわち特定のタンパク質の合成が必要な時期になると転写が開始され,不必要になると転写が停止し,mRNAの崩壊とともにタンパク質の合成も速やかに止まる。転写の開始の制御にはタンパク質性の制御因子が関与するが,よく知られた例としては,原核生物で見いだされたリプレッサーがある。
リボソームRNA(rRNAと略記)や転移RNA(tRNAと略記)もDNAを鋳型に合成されるが,一般的に完成分子より両端の長い分子として転写され,RNA分解酵素の働きで両端が切り取られて機能する分子の大きさになる。RNA分子に含まれることのある微量ヌクレオチドは,転写後に塩基または糖部分が,酵素の働きで修飾を受けたものである。真核生物のrRNAやtRNAの遺伝子には介在配列の存在するものもあるが,この場合にはmRNAの場合と同様に,スプライシングの過程を経て完成分子にいたる。
遺伝子本体としてRNAをもつRNAウイルスの場合,mRNAはRNAを鋳型に合成されるが,この過程も転写と呼ばれる。レトロウイルス類ではRNAを鋳型にDNAを合成する反応が知られており,逆転写reverse transcriptionと呼ばれ,RNA依存性DNAポリメラーゼ(逆転写酵素とも呼ばれる)がこの反応を触媒する。
mRNAの塩基配列として転写された遺伝情報は,リボソーム上でアミノ酸の配列にうつしかえられるが,この過程を翻訳translationという。mRNA上の3個の塩基配列が単位となって,1個のアミノ酸を指定しているが,この3塩基からなる単位をコドンcodonと呼ぶ。コドンをアミノ酸に解読する過程には,tRNAが関与し,tRNA分子のアンチコドンanticodon部位の3塩基が,コドンの3塩基と相補的な対合をすることで解読が成立する(〈RNA〉の項目の転移RNAの部分を参照)。
mRNA分子は,アミノ酸の配列を指定する塩基配列以外にも,その前後に余分な塩基配列をもつのが通例である。したがって翻訳の開始点の指定が重要となるが,この指令にはAUGという3塩基の配列が用いられる(開始コドンと呼ばれ,まれにはGUGが用いられる)。AUGは遺伝子内部にも存在し,アミノ酸の一つであるメチオニンのコドンとして用いられるので,AUGだけでは開始点の指令には不十分である。原核生物の場合には,開始コドンの直前の数個の塩基配列と,リボソームの16S RNAの3′末端との対合が可能といわれている。この直前の配列が,AUG開始コドンと遺伝子内部のAUGメチオニンコドンとを区別する1要因であろう。開始コドン以後,正確に3塩基が単位となって翻訳が進行する。この翻訳過程は,UAA,UAG,UGAのいずれかのコドン(終止コドン)が出現したときに終了し,完成したタンパク質分子はリボソームから離れていく。
→タンパク質合成
執筆者:池村 淑道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生物はある形質を発現させるための情報をもち,またこれを親から子孫へ伝えるが,このような情報を遺伝情報という.遺伝情報の担い手は遺伝子であって,その本体は2本鎖DNA(特殊なウイルスでは1本鎖DNA,1本鎖または2本鎖RNA)である.アデニン,グアニン,シトシン,チミンの4種類の塩基よりなるDNAの塩基配列が塩基対の原理によりメッセンジャーRNA(mRNA)に移され(転写),これが遺伝コードに従ってタンパク質のアミノ酸配列を規定する(翻訳)ことによって遺伝情報を発現する.また,それには各段階に多くの因子が関与することが知られている.G.W. Beadleによって提唱された1遺伝子-1酵素説によれば,おのおのの形質発現に必要な酵素のアミノ酸配列をDNAが支配し,親から子孫へ伝えていくと考えられている.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
生物のもつ遺伝子から出され、遺伝形質を決定する情報。情報源は染色体をつくるDNA(デオキシリボ核酸)である。タバコモザイクウイルスなど、ある種のウイルスではDNAのかわりにリボ核酸(RNA)が情報源となる。染色体にある遺伝情報は細胞分裂のときDNA分子の半保存的複製により倍化され、細胞から細胞へ、また親から子へ同じ情報が伝えられる。遺伝情報は遺伝子を単位として発現される。遺伝情報発現の過程では、遺伝子DNAの単位構造であるヌクレオチドの配列が遺伝暗号となり、相補的な構造をもつ伝令RNAに転写される。遺伝暗号を写しとった伝令RNAは核の外へ出て細胞質中のリボゾームとよばれる小粒に付着し、そこでタンパク質のアミノ酸配列に翻訳される。このようにして合成されたタンパク質は酵素作用をもち遺伝形質を発現させる。ある生物の遺伝子DNAのヌクレオチド配列が変異原などにより変化すると、遺伝子のもつ遺伝情報が変化し、その生物は突然変異体となる。
[石川辰夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…技術的情報は符号の系列であるから,情報をベクトルと考えヒルベルト空間の点とみなして幾何学的に扱う信号空間の理論もある。さらに,53年にDNAの二重らせん構造を提案したJ.D.ワトソンとF.H.C.クリックは,ガモフの示唆によって遺伝が情報の伝達であり,ヌクレオチドの配列パターンが遺伝情報であるとした。いまではその情報伝達(複写・翻訳)の機構も解明されており,遺伝子操作は遺伝子情報の加工にほかならない。…
※「遺伝情報」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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