郷土論(読み)きょうどろん

改訂新版 世界大百科事典 「郷土論」の意味・わかりやすい解説

郷土論 (きょうどろん)

郷土のよさを再認識し,さらに土地と人とのローカルな結びつきを強化しようとする考え方を郷土論という。現在の地域主義などとも深い関係をもつ。以上のようなことを研究する学問を郷土学(ドイツ語でHeimatkunde)という。

 18世紀末から19世紀初頭にかけて西欧では伝統社会への関心と地方や郷土の共同体への愛情が呼びおこされた。メーザーJ.Möserは荒廃する村落の実情を救うために郷土に村落の理想像を探り,またグリム兄弟は各地の散逸しがちな民話採集とその意義探求につとめ,いずれも民俗学の先駆者となった。哲学者のJ.G.vonヘルダー田園風物や民俗の意義を強調し,〈風土〉の思想を提唱したし,H.ペスタロッチは郷土における生活体験に即した教育哲学の必要性を唱えた。ヘルダーとペスタロッチの影響のもとでK.リッターは,土着の住民たちの郷土への鋭い理解こそ地理学の出発点であると主張し,地域を探究する近代地理学を創始した。住民たちの郷土観照のあり方が地名に反映していると見て,地名研究に関心を向けたのもリッターである。その後F.ラッツェルは〈郷土学入門〉の副題をつけた地誌書《ドイツ》(1898)を著し,集落,農地,城郭,教会などの歴史的景観に民族の文化創造のいぶきが刻まれているとして,郷土ないし郷土学への関心をかりたてた。

 このように近代ヨーロッパでは繰り返し郷土への愛情と関心が強化され,各地に郷土博物館や資料館が整備され,住居商家,農地,道路,林など前代の都市や村落の全貌を復原した野外集落博物館も,19世紀末以来北欧をはじめ諸国に設立された。高度な近代化と工業化の背後にあって,ローカルな文化・方言・歴史・地誌研究など郷土学の発展にもみるべきものがあった。

 ところが明治以来の日本では,欧米の近代化とその科学理論の普遍性に目を奪われるあまり,それらの母体に,古い地方的なもののあることが見のがされる傾向が強かった。1910年以来,新渡戸稲造柳田国男らが結成した郷土会の活躍が,この点で注目をひく。郷土会は,中央文化への偏重や近代科学の表面的な摂取を退け,郷土の実地調査をもとに生きた土着の価値を掘りあてようとする集いで,各地の調査報告を収録した雑誌《郷土研究》も発刊されるにいたった。当時,日本では一般には関心の浅かったヨーロッパ民俗学に注目した柳田は,日本における常民文化の実態とその意義を解明し,独自の民俗学を大成したし,マイツェンの古集落や農地の形態分析に示唆を得た新渡戸は,〈地方(じかた)学〉としての農学の樹立を企てた。またペスタロッチなどの影響をうけた地理学の牧口常三郎は郷土の学習をもとに小学教育の組織化をはかり,《教授の中心としての郷土科研究》(1912)を出版し,理想的な教育論を主唱した。郷土会に参加した学者の中には,そのほかにも小野武夫,尾佐竹猛,小田内通敏,今和次郎,那須皓など,それぞれの専門領域において郷土研究の成果を生かした学者も少なくない。しかし,かつて日本の大学において,郷土学はヨーロッパに匹敵する地位を占めることなく,不幸にも在野の人々のささやかな研究にゆだねられることが多かった。

 人口流動が激しく,都市化の進行した現代,〈郷土の喪失〉が社会に暗い影を投げかけている。1970年代から力をえた〈地方の復活〉や〈エコロジー主義〉をはじめ,郷土芸能の復活や郷土博物館の新設などは,郷土の意味の再認識につながる側面をもつ。今後に必要なことは,郷土への関心と世界への指向との調和であろう。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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