中国,明・清時代の政務監察機関。後漢以来,監察司法の事に任ずる中央官庁として御史台があったが,1382年(洪武15)これを改めて都察院とし,左右都御史,左右副都御史,左右僉都御史,監察御史などの官を設けた。監察機関としては六部(行政),五軍都督府(軍事)と並んで三権分立の体制をとり,司法機関としては刑部,大理寺とともに三法司という。ただし中期以後には総督,巡撫など地方の大官にもこの官(僉都御史以上)を加えた。監察御史は全国を13道に分かってその所管地方を巡察することがあり,これを巡按監察御史という。清は明制によったが,乾隆年間(1736-95)に僉都御史を廃し,左都御史と左副都御史を都察院の専官とし,右都御史を総督の,右副都御史を巡撫の兼官とした。なお,明代において独立の機関であった六科(中央官庁の監察機関)は1723年(雍正1)に都察院の所属に入り,その成員である給事中は左都御史の監督下に置かれた。
執筆者:谷 光隆
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中国、明(みん)・清(しん)時代の監察機関。漢代以来、中国では官吏を糾弾する御史台(ぎょしだい)という監察機関が著しく発達した。明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)は1382年に御史台を都察院と改め、左右都御史以下、副都御史、僉都(せんと)御史、監察御史などの各官を置き、行政をつかさどる六部(りくぶ)、軍事をつかさどる五軍都督府とが並立する三権分立の体制を確立した。明の中期以後、総督、巡撫(じゅんぶ)の地方大官が設けられると、みな都御史などの官を加え、政令の統一を図ったので、総督、巡撫の権限は増大した。清朝は明制を受け継いだが、1723年に、明代以来独立機関として中央官僚の監察にあたった六科給事中を都察院所属の分局に改めて、都察院の監察権を強化した。
[川越泰博]
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明清時代の監察機関。明は中央に監察都御史(とぎょし),地方に監察御史を置いて,行政や百官の監察にあてた。中期以後総督,巡撫(じゅんぶ)などに都御史などの官が加えられた。清もだいたい明制を継承した。
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…遼以後は御史中丞を御史大夫に改めたこともある。元代に入ると3院を察院中心にあわせたが,明・清代では御史台を廃して都察院を置いた。また元代に中央の御史台に対し地方に置いた行御史台は,後世総督・巡撫制へと変転した。…
…尚書省の六部尚書,門下省の侍中,中書省の中書令がいずれも正三品であるのとほぼ対等の位階をもち,百官の非違を糾弾する職責に任じた。御史台は日本の律令では弾正台となり,中国でも明・清時代には都察院という名称に変わった。【滋賀 秀三】
[日本]
天智天皇の時代には大臣の次に置かれた官職名。…
…同時に軍隊もそれまでの大都督府を廃止して五軍都督府に解体し,統帥権を5人の都督に分掌させ,最高統帥権を皇帝が握った。官僚の監察機関である御史台も廃止され,代わって都察院が設置され監察が強化された。彼はこれよりさき1376年には地方行政の中心機関であった行中書省を廃止し,代わって布政使司(行政),都指揮使司(軍事),按察使司(検察)を設置し,三権を分立させてそれぞれを皇帝に直結させるという改革をも行った。…
…省と府の中間にはさらに道なる監督機関が設けられ,府が判決して徒刑以上と認めた事件は,犯人を府の獄にとどめて,書類は道を経て省に送られ,省では按察使が原案を作成するが,決定するのは総督・巡撫である。通常の事件は省で定まり,とくに重大な案件が中央に送られると,中央の三法司,すなわち大理寺,都察院,刑部は順次に審理して最後に天子の決裁を請う。幾重にも監督を行えば弊害を防ぎうるというのがその信条であった。…
※「都察院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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