ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野村萬斎」の意味・わかりやすい解説
野村萬斎(2世)
のむらまんさい[にせい]
和泉流,狂言方の能楽師。本名武司。初世野村萬斎のひ孫で,野村万作の長男。父万作と祖父 6世野村万蔵に師事。1970年『靭猿(うつぼざる)』のサルで初舞台。1984年『三番叟』,1988年『釣狐』を初演。1994年から 1年間,文化庁芸術家在外研修制度によりイギリス留学。1996年『花子』を初演。劇場狂言などの革新的狂言で若い観客層を発掘。木下順二作『子午線の祀り』,ギリシア悲劇『オイディプス王』に主演。テレビ,映画などにも積極的に出演し話題を呼ぶ。2002年,世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任。1999年シアターコクーン公演『薮の中』の演出で芸術祭賞新人賞。2002年度芸術選奨文部科学大臣新人賞。2012年『花子』のシテで芸術祭賞優秀賞。狂言ござる乃座主宰。万作の会に所属。著書に『萬斎でござる』(1999),『狂言サイボ-グ』(2001)がある。伯父に野村萬,野村四郎(観世流,シテ方),野村万之介がいる。(→能)
野村萬斎
のむらまんさい
[没]1938.1.14. 東京
能楽師,和泉流三宅派狂言方。野村万蔵家の5世。4世万造の長男。 1883年以降東京に定住,三宅庄市に師事。明治末年から昭和にかけて,衰微しつつあった狂言界を隆盛に導いた。 1922年長男万作 (6世万蔵) に家督を譲り,隠居して萬斎と号する。次男万介には 36年,師の三宅家を継がせた (→三宅藤九郎 ) 。「よいや会」を主宰。
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