野村萬斎
のむらまんさい
[生]文久2(1862).7.21. 金沢
[没]1938.1.14. 東京
能楽師,和泉流三宅派狂言方。野村万蔵家の5世。4世万造の長男。 1883年以降東京に定住,三宅庄市に師事。明治末年から昭和にかけて,衰微しつつあった狂言界を隆盛に導いた。 1922年長男万作 (6世万蔵) に家督を譲り,隠居して萬斎と号する。次男万介には 36年,師の三宅家を継がせた (→三宅藤九郎 ) 。「よいや会」を主宰。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
野村 萬斎(初代)
ノムラ マンサイ
- 職業
- 狂言師(和泉流)
- 肩書
- 和泉流野村万蔵家5代目
- 別名
- 幼名=良吉,前名=野村 万造(5代目)(ノムラ マンゾウ)
- 生年月日
- 文久2年 7月21日
- 出生地
- 加賀国金沢(石川県 金沢市)
- 経歴
- 4代万造義比(よしちか)の長男。4歳で初舞台。明治13年上京、16年より東京に定住。三宅庄市に師事。明治の終り頃から東都狂言界に重きをなした。大正11年隠居して萬斎を名乗る。よいや会を主宰。風格のある芸風で知られた。昭和11年には二男万介に長年断絶していた三宅藤九郎家を継がせた。
- 没年月日
- 昭和13年 1月14日 (1938年)
- 家族
- 長男=野村 万蔵(6代目),二男=三宅 藤九郎(9代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
Sponserd by 
野村萬斎(2代) のむら-まんさい
1966- 昭和後期-平成時代の能楽師狂言方,俳優。
昭和41年4月5日生まれ。和泉(いずみ)流。祖父・6代野村万蔵,父・2代野村万作に師事。昭和45年「靱猿(うつぼざる)」で初舞台。のち狂言「三番叟」「釣狐」「花子」などを演じる。平成2年舞台「ハムレット」に主演。6年2代野村萬斎を襲名。14年「陰陽師」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞,ブルーリボン賞主演男優賞。同年世田谷パブリックシアター芸術監督に就任。15年「オイディプス王」「まちがいの狂言」で読売演劇大賞優秀男優賞。同年「髭櫓」の演技などで芸術選奨文部科学大臣新人賞。他にテレビ「花の乱」「あぐり」への出演や舞台の演出など多方面で活躍。25年「のぼうの城」で日本アカデミー賞優秀主演男優賞。東京都出身。東京芸大卒。本名は野村武司。
野村萬斎(初代) のむら-まんさい
1862-1938 明治-昭和時代前期の能楽師狂言方。
文久2年7月21日生まれ。4代野村万造の長男。和泉(いずみ)流三宅派。野村万蔵家の5代。父の弟子に稽古をうけ,明治16年金沢から上京し三宅庄市にまなぶ。大正11年家督を長男万作(6代野村万蔵)にゆずり,隠居して萬斎を名のった。昭和13年1月14日死去。77歳。加賀(石川県)出身。前名は万造。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
野村 萬斎(1代目)
ノムラ マンサイ
明治〜昭和期の狂言師(和泉流) 和泉流野村万蔵家5代目。
- 生年
- 文久2年7月21日(1862年)
- 没年
- 昭和13(1938)年1月14日
- 出生地
- 加賀国金沢(石川県金沢市)
- 別名
- 幼名=良吉,前名=野村 万造(5代目)(ノムラ マンゾウ)
- 経歴
- 4代万造義比(よしちか)の長男。4歳で初舞台。明治13年上京、16年より東京に定住。三宅庄市に師事。明治の終り頃から東都狂言界に重きをなした。大正11年隠居して萬斎を名のる。よいや会を主宰。風格のある芸風で知られた。昭和11年には二男万介に長年断絶していた三宅藤九郎家を継がせた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
野村 萬斎(2代目) (のむら まんさい)
生年月日:1966年4月5日
昭和時代;平成時代の狂言師(和泉流)
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 