デジタル大辞泉
「金森徳次郎」の意味・読み・例文・類語
かなもり‐とくじろう〔‐トクジラウ〕【金森徳次郎】
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かなもり‐とくじろう【金森徳次郎】
- 憲法学者。法学博士。愛知県出身。東京帝大卒。岡田内閣の法制局長官。第二次大戦後は、第一次吉田内閣の国務相となり、新憲法の起草にあたる。のち、国会図書館長。明治一九~昭和三四年(一八八六‐一九五九)
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金森 徳次郎
カナモリ トクジロウ
- 肩書
- 元・国務相,元・貴院議員(勅選),国立国会図書館初代館長
- 生年月日
- 明治19年3月17日
- 出生地
- 愛知県名古屋市
- 学歴
- 東京帝大法学部〔明治45年〕卒
- 経歴
- 大蔵省から法制局参事官となり、昭和9年法制局長官となったが、美濃部達吉の天皇機関説を支持、右翼の攻撃目標となり、11年退官。21年貴院勅選議員となり、第1次吉田内閣に松本烝治のあとを受けて国務相として入閣。新憲法制定に際して議会の質疑のすべてにほとんど1人で対応し、答弁回数千数百回の記録をつくる。憲法公布と同時に大臣を辞めた。23年国立国会図書館の初代館長に就任し、34年まで務める。
- 没年月日
- 昭和34年6月16日
- 家族
- 息子=金森 久雄(経済評論家)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
金森 徳次郎
カナモリ トクジロウ
大正・昭和期の官僚,政治家 国立国会図書館初代館長;元・国務相;元・貴院議員(勅選)。
- 生年
- 明治19(1886)年3月17日
- 没年
- 昭和34(1959)年6月16日
- 出生地
- 愛知県名古屋市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔明治45年〕卒
- 経歴
- 大蔵省から法制局参事官となり、昭和9年法制局長官となったが、美濃部達吉の天皇機関説を支持、右翼の攻撃目標となり、11年退官。21年貴院勅選議員となり、第1次吉田内閣に松本烝治のあとを受けて国務相として入閣。新憲法制定に際して議会の質疑のすべてにほとんど1人で対応し、答弁回数千数百回の記録をつくる。憲法公布と同時に大臣を辞めた。23年国立国会図書館の初代館長に就任し、34年まで務める。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
金森徳次郎
かなもりとくじろう
(1886―1959)
憲法学者、政治家。1912年(明治45)東京帝国大学法科大学卒業。柳田国男(やなぎたくにお)の後を受けて法制局に勤務し、1934年(昭和9)岡田啓介(けいすけ)内閣の法制局長官となるが、翌年天皇機関説論者であるとして右翼に攻撃され、1936年辞任した。第二次世界大戦後の1946年第一次吉田茂内閣の新憲法審議担当の国務大臣として活躍、新憲法下の天皇を国民の「あこがれの象徴」であると説明したことは有名。1948年国立国会図書館初代館長に就任、1959年まで在任した。
[赤澤史朗]
『『私の履歴書 8』(1959・日本経済新聞社)』
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金森徳次郎 (かなもりとくじろう)
生没年:1886-1959(明治19-昭和34)
憲法学者,官僚。名古屋市に生まれる。1912年東大英法科卒。法制局に入り,法制局書記官などを経て,34年岡田啓介内閣の法制局長官となる。著書《帝国憲法要綱》(1921)は高等文官試験の参考書としておおいに読まれたが,その天皇機関説は美濃部事件に際して攻撃され,36年辞職。戦後46年,第1次吉田茂内閣の国務大臣として新憲法制定の衝にたずさわった。議会における憲法審議の答弁にあたり,宮沢俊義貴族院議員の〈八月革命説〉と対立した。48年より国立国会図書館初代館長。《憲法随想》《書物と人間》など,随筆家としても知られる。
執筆者:長尾 龍一
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金森徳次郎
かなもりとくじろう
[生]1886.3.17. 名古屋
[没]1959.6.16. 東京
憲法学者。 1912年東京大学法学部卒業。 34年岡田啓介内閣の法制局長官に就任したが国体明徴運動の渦中で,天皇機関説論者として右翼や軍部に攻撃され辞職。 46年第1次吉田茂内閣の国務大臣として入閣し,憲法改正を担当,憲法大臣の異名を受けた。象徴としての天皇は国民の憧れの的と表現するなど,巧みな国会答弁であったが,『憲法遺言』 (1949) などの著書を通じて新憲法の解説,普及に努めた。 48年国立国会図書館長に就任。
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金森徳次郎 かなもり-とくじろう
1886-1959 大正-昭和時代の官僚,憲法学者。
明治19年3月17日生まれ。内閣法制局参事官をへて昭和9年岡田内閣の法制局長官となる。翌年天皇機関説論者として軍部,右翼から攻撃され,11年辞任。戦後,21年第1次吉田内閣の国務相として日本国憲法の制定につくす。23年国立国会図書館初代館長。昭和34年6月16日死去。73歳。愛知県出身。東京帝大卒。著作に「帝国憲法要綱」「憲法遺言」など。
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金森徳次郎【かなもりとくじろう】
憲法学者。愛知県出身。東大卒後,法制局に入り1934年長官となったが,天皇機関説信奉者として攻撃され辞職。第2次大戦後,第1次吉田内閣の国務大臣として憲法改正時に貢献。象徴天皇の地位を〈国民あこがれの的〉と表現したことは有名。のち国会図書館長。主著《憲法遺言》。
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金森 徳次郎 (かなもり とくじろう)
生年月日:1886年3月17日
大正時代;昭和時代の官僚;憲法学者。国立国会図書館館長;国務相;貴族院議員
1959年没
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