屋敷、家屋の位置や構造が人々の運命に影響すると信じ、その配置方法の吉凶を判断する占法。中国古代の陰陽五行(いんようごぎょう)思想に基づく「方位説」に由来する。古く日本にも伝来して、帝都の選定、社寺宮殿の造営はじめ、住宅建設などにもその配置の方位の吉凶を卜定(ぼくてい)するのが例となった。一方、転居や外出などにかかわる「方位の忌み」も一般化していった。陰陽道(おんみょうどう)の定着による陰陽師(おんみょうじ)の活動がその主動因で、その伝流は中世以後の築城や居館の造営にも及び、近世には広く一般民間にもその風潮は波及して、複雑怪奇な家相説が俗間の易占師などの手で流布した。そして造営時の禁忌より、むしろ運勢の吉凶を家相に即して占う形が主となってもいった。第二次世界大戦後の調査(1947~50)でも家相の吉凶を信ずる者46.5%、とくに「鬼門除(きもんよ)け」を実施した者は66%にも及んでいた。方位説には方位の吉凶が固定しているものと、暦日の循環などでそれが変動するものとがある。とくに前者では「鬼門」の俗信が目だつ。北東の方位を「鬼門」(南西を裏鬼門という)として忌み、門、玄関、便所などの配置を避け、あるいは「鬼門除け」に特殊の工作を施したりする。京都御所の鬼門除けの「欠込(かけこみ)」などの類で、都市の鬼門除けに社寺を建てる風もあった(江戸の寛永寺、京都の延暦寺(えんりゃくじ)など)。一方「九星術」による暗殺剣、五黄殺、的殺などの「凶方位」、あるいは金神(こんじん)、八将軍、土公神(どくじん)などの暦日による巡歴方位の忌みなど、方位の吉凶判断は多様で、「三世相」など俗間の易占書がそのよりどころともなった。前掲調査によっても鬼門のほか金神、暗剣殺、的殺、八将軍、天一天上、五黄殺などの方位俗信がなお生きていることがうかがわれる。一方、民間には家相説によらぬ幾多の住居禁忌の俗信が別に伝承されてきた。異形の屋敷や寺社の跡地を避け、祟(たた)り地、因縁地を忌み、あるいは便所、土蔵、井戸、門口などの配置にも方位その他種々の禁忌が伴った。
屋敷に植える花木にも複雑な吉凶判断の伝承があり、家相その他居宅の状況が住む人の運勢に影響を及ぼすという観念は、いまもなお広く残っている。
[竹内利美]
『飯島忠夫著『天文暦法と陰陽五行説』(1979・第一書房)』▽『文部省迷信調査協議会編『迷信の実態――日本の俗信1』(1949・技報堂出版)』
家屋の地勢,構造,方角,間取りなどのありよう。それにより吉凶を判断する家相説は陰陽五行思想に基づいて考案され,日本へは中国から伝来して平安京や城などの築造に影響を与えた。家相はその居住者の吉凶を左右すると信じられ,さまざまな俗信が生まれた。とくに家の北東隅は鬼門といって悪い方角とされ,台所,便所,出入口,窓などを作るのを忌んだり,欠込みを設けて災難除けとした。屋敷選定の上では〈尾先(山の下り口),谷口,宮の前〉のほか,三隅屋敷(三角形の宅地)や池鏡(家屋が池に映る)が嫌われる。また川切り,谷切りといって川の流れに家棟が直交したり,左勝手や西向き竈なども嫌われる。このほか,土蔵,井戸,玄関,床の間や仏壇・神棚の方角,間取り,屋敷の樹種やその高さに関してもさまざまな規定や禁忌がみられる。こうした方位家相説が一般民衆の間に広まったのは近世以後のことであり,陰陽家の家相説に実際上の経験や祟(たた)り地の俗信,さらに八将神や金神(こんじん)など年や日によって移動する神の信仰も加わって,複雑なものとなった。
→方位
執筆者:飯島 吉晴
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