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金重陶陽 かねしげ とうよう

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美術人名辞典の解説

金重陶陽

陶芸家。岡山県生。名は勇。古備前のもつ土味を追及しその復興に尽力、今日の備前焼興隆の基礎を築いた。日本工芸会理事。人間国宝。昭和42年(1967)歿、71才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金重陶陽 かねしげ-とうよう

1896-1967 昭和時代の陶芸家。
明治29年1月3日生まれ。父金重楳陽にまなび,備前焼の再興につとめ,古備前の茶器を再現した。昭和24年備前窯芸会を結成,30年日本工芸会の創立に参加。今日の備前焼隆盛の基礎をきずき,31年備前焼で人間国宝となった。昭和42年11月6日死去。71歳。岡山県出身。本名は勇。

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世界大百科事典 第2版の解説

かねしげとうよう【金重陶陽】

1896‐1967(明治29‐昭和42)
陶芸家。岡山県伊部(いんべ)に生まれる。本名勇。父の金重楳陽に備前焼の陶技を学ぶ。若いころから桃山時代の茶陶に魅せられて,その研究に没頭,胎土の吟味,ろくろの成形,窯の構造やたき方を工夫して第2次大戦前にほぼ桃山風備前の再現に成功した。備前焼は,700年以上の歴史をもつが,陶陽は多彩な作風で近代備前焼の黄金時代を築いた。1956年〈備前焼〉の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。64年と66年ハワイ大学に招かれ,現地の土で斬新な焼締の作品も造った。

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大辞林 第三版の解説

かねしげとうよう【金重陶陽】

1896~1967) 陶芸家。岡山県生まれ。本名、勇。父に作陶を学び、桃山時代の備前焼の再現に努めた。備前焼中興の祖と称される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金重陶陽
かなしげとうよう
(1896―1967)

陶芸作家。岡山県和気(わけ)郡伊部(いんべ)村(現備前(びぜん)市伊部)生まれ。本名勇。備前焼名家、六家の一つ金重家の長男として父楳陽(ばいよう)のもとで修業を積み、初め細工物(彫塑像)を行い、閑谷(しずたに)焼、色絵備前、虫明(むしあけ)焼などの技法を取り込むなど新味もくふうして技巧を磨いた。陶陽が初めてろくろをひいたのは1930年(昭和5)34歳のときと伝えられており、40歳前後に細工師から脱皮して桃山時代の備前焼(古備前)を手本とした茶陶備前に転じ、重厚、入念、豪放な作行きの茶具づくりに成功し、現代備前焼の再興の祖として、そのニュー・リーダーとなった。56年(昭和31)に「備前焼」の重要無形文化財保持者に認定された。[矢部良明]
『林屋晴三編『現代日本陶芸全集9 金重陶陽』(1981・集英社)』

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