銀行業における取引を記録・計算・整理し,その経営成績ならびに財政状態を明らかにする簿記の一種で,応用簿記の一分野である。本項では,広く日本の銀行会計制度の始まりを中心に述べる。明治維新で日本の経済近代化を築く礎石の役目をになったのは,時の政府の積極的指導のもとに強力に推し進められた西洋式の近代的銀行の設営であった。この銀行業の民間株式会社による運営と政府による監督とを有効に遂行する最も科学的な手段として,官民有識者の協力のもとに1873年(明治6)〈国立銀行〉の簿記制度が創始された。日本の簿記会計の歴史の第1ページは,こうして維新経済の推進機の軸の役をつとめた銀行簿記の創設に始まったのである。
1872年11月公布の〈国立銀行条例〉ならびに同条例付属の〈国立銀行成規〉には,この条例に従って設立される株式会社たる国立銀行の経理制度に関し,その基礎をなす規定が設けられた。〈条例〉はこれに関して,第1に銀行の帳簿および定例報告表を作成すべき義務を定め,第2に銀行の半期決算ならびに利益処分に関して株主および大蔵省へ報告すべきことを定め,第3に大蔵省の銀行検査の施行に関する規定を設けた。これら3条項に関連して,施行細則たる〈成規〉は,〈国立銀行報告ノ事〉〈銀行諸簿冊ノ事〉という2項目を設け,前者では毎決算終了後銀行が紙幣頭に提出すべき財務諸表その他の報告書の種類と記載事項とを明らかにし,後者では紙幣寮の定める書式の帳簿を使用すべきことを述べている。このように日本の銀行会計制度は,明治政府の指導による民間金融機関の積極的育成の必須手段として中央統制的に開発されていった。その沿革と発展は二つの段階に画される。その第1は,明治政府が新時代の銀行経営者および従業員を育成するため,1872年10月イギリス人銀行家アラン・シャンドAllan Shandを招聘(しようへい)して銀行簿記を講述せしめ,その講義が翌73年《銀行簿記精法》全5巻となって大蔵省から出版されるとともに,一方では,時を同じくして大蔵省が〈国立銀行報告差出方規則〉を編制したことである。第2は,これより4年後の77年に大蔵省から《銀行簿記精法》の補足編として〈日本国立銀行事務取扱方規則〉が発表され,その一方で,同省が改めて制定した〈国立銀行報告差出方規則〉の付属別冊として,〈考課状雛形〉が制定されたことである。
日本の銀行会計制度は,この二つの中央統制的措置により,いち早くその基礎を確立した。そして,それは,その後における日本の企業会計制度の発展に指導的影響を与えた。そのおもな点をあげると次のとおりである。
(1)《銀行簿記精法》に最初に現れた簿記上の用語がその後確定的な専門用語として慣用されているものに,たとえば〈借方〉〈貸方〉,また〈日記帳〉〈総勘定元帳〉などがある。
(2)《精法》に解説されている現金式仕訳法は,現代の日本の銀行で慣行されている〈日記帳〉と呼ばれる〈現金式仕訳帳〉の淵源であるばかりでなく,明治時代から産業組合・紡績会社その他の業種の企業が長く現金式仕訳帳制をとるにいたった端緒を開いた。
(3)《精法》は〈入金手形〉〈出金手形〉という名称で後世の入金伝票・出金伝票の雛形を掲げているが,これがその後日本の伝票制度および伝票式会計方式を開拓する端緒を開いた。
(4)1873年12月第一国立銀行の最初の決算報告書に初めて現れ,77年大蔵省の改制〈国立銀行報告差出方規則〉の付属考課状雛形にいたって明確に銀行経理の上に制度化されるにいたったイギリス系の〈損益および損益処分計算書〉は,90年に商法が制定され株式会社の利益処分権限が株主総会に属することが法制度上に確立されたのを契機として,明治末期から大正時代を通じて,会計報告書としての〈損益計算書〉と会計報告書外の単なる提案記載文書たる〈利益処分案〉とに構造分解する過程をたどるにいたった。この構造分解はついに完全に達成されるにいたらず,1927年銀行法が制定されたのに伴って制定された同法施行細則の付属雛形における〈損益計算書〉にいたっても,構造的にみて会計報告書ではなく,会計報告と会計外意見とから成る複合文書にとどまったまま,その後慣行化されてむなしく年を重ね,さらに63年の法務省・計算書類規則における〈損益計算書〉が銀行業の〈損益計算書〉と同じ構造的欠陥を含んで制定されるに及んで,銀行業経理制度におけるこの禍根はいっそう固められるにいたった。これに先立ち,1951年改正の銀行法施行細則は,その前年に発表された企業会計原則の〈剰余金処分計算書〉の様式をもって,改正の細則以来伝承してきた〈準備金及利益,配当ニ関スル書面〉に代えることになった。会計帳簿の記録に誘導されないこの報告書は,会計構造上〈会計報告書〉にあらざる単なる書面にすぎないものであり,51年の改正以降銀行法施行細則による財務諸表体系にこの計算書を含めて取り扱うことに重要な疑義をはらむことになった。75年の銀行法施行細則の改正により,〈剰余金処分計算書〉はその名称を〈利益金処分計算書又ハ損失金処理計算書〉と改められ,かつ,その作成は定時株主総会における〈利益処分〉確定決議にもとづく会計帳簿記録に誘導されて行われることになった。また,貸借対照表・損益計算書はその構造において,1974年に改正された財務諸表規則・計算書類規則と同型化されるにいたった。この改正措置をもってしても,先にあげた損益計算書の構造欠陥はなお完全には解決されていない。
→簿記
執筆者:片野 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
銀行業で用いられる簿記のこと。商業簿記同様、複式簿記の仕組みを基礎とするが、現金の収支を伴わない取引もいったん現金口座を媒介させて記録する点に特徴がある。これを現金式仕訳とよぶ。また、そのような記録の手段として伝票(入金伝票、出金伝票、振替入金伝票、振替出金伝票)を用いた点や記録照合のための合計試算表を作成する慣行を根づかせた点などもその意義として指摘される。歴史的には、日本における銀行簿記は、1872年(明治5)11月に、アメリカのナショナル・バンク制度に倣って国立銀行条例が発布されたことに由来する。大蔵省は、国立銀行を設立するにあたって銀行における簿記の仕組みを統一する必要性から、1872年5月にイギリス・スコットランドの銀行家アレキサンダー・アラン・シャンドAlexander Allan Shand(1844―1930)を日本に招いた。シャンドは、銀行簿記についての講義を行い、そして、1873年12月に、その講義内容を中心にまとめた銀行簿記に関する著書『銀行簿記精法』が刊行された。シャンドの功績は、日本の銀行簿記の基礎をつくったものとして現在でも高く評価されている。また、当時、広く一般の産業界にも複式簿記のシステムが普及したきっかけをつくったといわれている。
[近田典行]
『アラン・シャンド著、大蔵省編『復刻叢書簿記ことはじめ 銀行簿記精法』(1979・雄松堂書店)』
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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