日本歴史地名大系 「鏡宿」の解説
鏡宿
かがみしゆく
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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中世の東山道の宿駅名で,現在の滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡にあたる。源平内乱期からあらわれ,交通の要所として《吾妻鏡》《源平盛衰記》《太平記》などに記載がある。源義経が奥州藤原氏を頼る途中で元服した地といわれ,元服の池,烏帽子掛の松などを伝える。また源頼朝も1195年(建久6)3月東大寺大仏開眼供養会への上洛の際に宿陣しており,1252年(建長4)3月には宗尊親王が将軍として鎌倉に下る際の宿所ともなった。さらに《梅松論》によれば1333年(元弘3)4月鎌倉幕府軍として上洛した足利尊氏が,後醍醐天皇の命をうけ帰順を決意した地という。その後も尊氏は,51年(正平6・観応2)弟直義を追討する際に宿陣している。このほか鏡宿は《古今集》などによまれた名勝鏡山のふもとにあることから,鎌倉期の紀行文である阿仏尼の《十六夜日記》や《東関紀行》などにもその名がみられる。
執筆者:宮島 敬一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…各地の伝説では,吉次を炭焼藤太の名とも,その子の名ともされ,あるいは黄金採掘で富を築いた富豪の名とも,その召使の名ともされ,一面では致富譚として伝えられ,他面では非業の死を遂げる没落譚として伝えられる。《平治物語》に義経の郎従堀弥太郎を金商人とし,《弁慶物語》に〈金細工の吉内左衛門信定〉〈腹巻細工の四郎左衛門吉次〉なる者が登場し,《平治物語》《烏帽子折》に義経元服の地とされる鏡宿が鋳物師(いもじ)村とも称されたことなどから,炭焼・鋳物師・金細工・金商人は相互に交流があって,これらの漂泊民が義経・吉次伝説の成長・伝播などに関与したのではないかと推測されている。吉・藤の字を名に持つ一群の人々や鋳物師たちは,話を好む芸能の徒でもあったらしいことは,さまざまな例があり,また《古今著聞集》興言利口の部などにうかがえ,《義経記》で牛若丸に奥州の歴史と状況を語る吉次の雄弁も,これらのことを暗示するものとも考えられなくはない。…
…平安末期~鎌倉初期の武将。源義朝の末子,頼朝の異母弟。母は九条院の雑仕女(ぞうしめ)常盤(ときわ)。幼名牛若,九郎と称す。平治の乱(1159)で父義朝が敗死したのち母および2人の兄今若(のちの阿野全成(ぜんじよう)),乙若(のちの円成(えんじよう))とともに平氏に捕らえられたが,当歳の幼児であったため助けられて鞍馬寺に入れられた。この時期の義経の行動についてはまったく不明で,ほとんどが伝説・創作の域を出ない。…
※「鏡宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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