改訂新版 世界大百科事典 「陶邑古窯址群」の意味・わかりやすい解説
陶邑古窯址群 (すえむらこようしぐん)
大阪南部の丘陵地帯に分布する須恵器窯跡群。大阪府大阪狭山市,堺市,和泉市,岸和田市にまたがる東西15km,南北9kmの範囲に,かつて1000基をこえる窯跡が遺存したと推測される(窯(かま))。陶邑窯は古代日本の政治的中枢である大和に近いという条件もあり,須恵器生産の開始当初からその中心地として栄えた。陶邑窯の歴史は,三つの画期を境としてその消長を段階的にとらえることができる。Ⅰ期は生産開始の5世紀中葉前後から6世紀初頭まで,Ⅱ期は7世紀前半まで,Ⅲ期を8世紀中葉までとし,以後をⅣ期とする。Ⅰ期は朝鮮陶質土器を直接の祖とする須恵器が,日本の陶質土器として定型化する時期であり,Ⅱ期は群集墳の盛行に伴い,供献用土器としての須恵器が盛んに生産された段階である。陶邑窯では,Ⅰ,Ⅱ期が生産の最盛期であった。Ⅲ期は飛鳥以後の政治体制の転機を反映し,葬祭供献用土器に代わる供膳用土器の生産が主体となる。各器形の形態,組合せ,窯体構造,窯の分布など,須恵器生産の全般にわたって,この時期に最も大きな変化をとげる。Ⅳ期は地方官衙の整備や国分寺造営の時期に始まる。このころ,地方窯が急増し,ながく須恵器生産の中心地として繁栄をつづけた陶邑窯も,その位置を失う。そして平安後期まで,一地方窯として細々と生産を続けるが,製品の供給圏は周辺地域の狭い範囲に限定されていた。
→須恵器
執筆者:田辺 昭三
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