コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

陸賈 りくか Lu Jia; Lu Chia

5件 の用語解説(陸賈の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陸賈
りくか
Lu Jia; Lu Chia

中国,前漢開国の功臣。楚の人。口弁に長じ,高祖の使者となって諸侯の間を往来。漢成立後も2度南越国に使いした。また文帝の擁立にも功があった。高祖に経書をすすめ,『新語』を著わした。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

りく‐か【陸賈】

中国、前漢初期の学者・政治家。楚(そ)の人。高祖劉邦(りゅうほう)に仕え、天下統一に貢献。著に、秦漢の興亡を述べた「新語」12編。生没年未詳。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

りくか【陸賈 Lù Jiǎ】

中国,漢初の功臣で儒学者。生没年不詳。楚の人。弁舌にすぐれ,たえず諸国に使者として赴いた。高祖のとき,南越で自立した趙佗(ちようだ)のもとへ遣わされ,漢に臣下の礼をとることを約させて帰国,功により太中大夫に任ぜられた。儒学を軽蔑していた高祖を,馬上で天下を取っても馬上で天下は治められない,といさめて礼楽に関心をいだかせた話は有名である。呂后政権下では病と称して引退したが,陳平らと秘かに呂氏討伐の策をねり,文帝が即位し劉氏政権が復活すると,再び太中大夫となった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

りくか【陸賈】

中国、前漢の政治家。楚の人。高祖劉邦に仕え、全国統一に活躍。秦漢興亡を述べた「新語」などの著がある。生没年未詳。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陸賈
りくか

中国古代、前漢初期の学者。生没年不詳。楚(そ)の人。高祖劉邦(りゅうほう)に仕え、南越(なんえつ)王慰佗(いだ)のもとに使いして説得服従させた。以後、太中太夫(たいちゅうたいふ)となり、多く外交交渉にあたる。おりあるごとに詩書を説き、命を受けて秦(しん)漢興亡のゆえんを述べて『新語』12篇(へん)を著す。また『楚漢春秋』の著もある。恵帝のとき外戚呂(がいせきりょ)氏の権勢を憎み、丞相陳平(じょうしょうちんぺい)(?―前178)、太尉周勃(たいいしゅうぼつ)(?―前169)らと協力して呂氏一族の排除に成功する。『史記』『漢書(かんじょ)』に伝記がある。『蒙求(もうぎゅう)』に「陸賈分嚢(ぶんのう)」があるが、千金の遺産を5人の子供に遺贈する話である。[町田三郎]
『金谷治「陸賈と婁敬」(『秦漢思想史研究』所収・1960・日本学術振興会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

陸賈の関連キーワード班昭衛綰曽先之生没年清元斎兵衛堅田喜惣治強首薛聡柳川一蝶斎山彦河良

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone