将門記(読み)ショウモンキ

デジタル大辞泉 「将門記」の意味・読み・例文・類語

しょうもんき〔シヤウモンキ〕【将門記】

平安中期の軍記物語。1巻。作者未詳。天慶3年(940)平将門たいらのまさかどの乱後まもなく成立。乱の経緯を、変体漢文で記述。のちの軍記物の先駆とされる。まさかどき。

まさかどき【将門記】

しょうもんき(将門記)

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精選版 日本国語大辞典 「将門記」の意味・読み・例文・類語

しょうもんきシャウモンキ【将門記】

  1. 軍記物語。一巻。作者不詳。天慶三年(九四〇)将門(まさかど)の乱(天慶の乱=平将門の叛乱)の終息後、まもなく成立か。乱の経緯を和風化した漢文でしるす。関東で平将門の軍事行動に加わった者の記録をもとに、京都の文化人の手によって成ったかと推定されている。独立した最初の軍記物。まさかどき。

まさかどき【将門記】

  1. しょうもんき(将門記)

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改訂新版 世界大百科事典 「将門記」の意味・わかりやすい解説

将門記 (しょうもんき)

軍記。〈まさかどき〉ともよむ。原名を《将門合戦状(まさかどかつせんじよう)》ともいい,10世紀中葉の承平・天慶年間に東国で起こった平将門の反乱事件(平将門の乱)を,その張本であった将門の行動を中心に叙述した作品。作者不詳。1巻。現存する伝本がいずれも巻首を欠いているため,その全容を知ることができないが,本書の記事を抄録した《将門記略》などによると,将門の皇胤としての系譜を述べる堂々とした書出しであったらしく,〈女論〉(女性をめぐるトラブル)から将門がその伯父たちと対立し,その同族間の紛争が拡大して,東国を舞台とする反乱事件へとエスカレートするてんまつ,関八州を制圧してみずから〈新皇〉と称したのもつかのまで,その後軍兵たちを帰休させたすきを下野国の押領使藤原秀郷(ひでさと)らに奇襲され,奮戦むなしく本拠地の石井付近であっけなく滅亡するまでの経緯を,実録的な筆致で克明に描き出しており,首尾整った一編の独立した作品としての体裁を示している。この反乱事件については,公の立場からの追討記録と思われる《将門誅害日記(まさかどちゆうがいにつき)》があり,また同時代の藤原純友(すみとも)の西海での反乱(藤原純友の乱)を扱った《純友追討記》のような作品があるが,これらの追討記事と違って,本書の場合は,その叙述の視点が反逆者である将門にきわめて近いところにすえられているのが大きな特色で,そこにこの書の〈軍記文学〉としての独自な展開と意義を認めることができる。文体は和臭の強いいわゆる変格漢文で,すこぶる難解だが,故事の引用や比喩などの文飾に独特な味わいがあり,ことにその戦闘の叙述はリアリティと迫力に富んでおり,のちの軍記文学の萌芽を思わせるものがある。

 本書の成立については,文末にある〈天慶三年六月中記文〉という注記を,その執筆時期を示すものとみれば,天慶3年(940)2月の反乱鎮圧からわずか4ヵ月後で,事件直後の成立ということになるが,これを一種の虚構とみなしその成立年時を引き下げようとする見解もあり,確定していない。作者についても,東国の地名や将門の消息に通じ,その筆致に仏教色があることから,これを東国在住の仏徒とする説がある反面,国解(こくげ)などの公文書を多くとり入れていることから,それらを見ることのできる者として,都在住の文人か僧侶の手になったとする見方もある。このように作者についての意見が分かれるのは,本書の前半が将門に同情的な姿勢をみせているのに,後半は反対にこれに批判的な口吻がみられ,その立場が一貫していないためで,そこからこれを1人の人物の著作ではなく,一種の編纂物と考えたり,そこに増補の過程を推測しようとする見解なども出されている。テキストとしては,名古屋の真福寺宝生院に蔵する承徳3年(1099)書写本と,これよりやや書写年代が古いとされる中国人楊守敬旧蔵本の2種(ともに重文)が知られているほか,数種の抄本がある。
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将門記 (まさかどき)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「将門記」の意味・わかりやすい解説

将門記(しょうもんき)
しょうもんき

平安時代の軍記物。修飾の多い和風漢文体。「まさかどき」ともいわれるが、古くは「将門合戦章(状)」などとよばれた。巻頭部を欠く「真福寺(しんぷくじ)本」、稿本の概をみせるといわれるが零本(れいほん)の「片倉(かたくら)本(楊守敬(ようしゅけい)旧蔵本)」のほか数種の抄本が伝えられている。物語の主人公平将門(まさかど)の系譜から説き起こし、935年(承平5)以来の一族および源護(まもる)らとの合戦、武蔵(むさし)国の国司と郡司の紛争への介入を経て、939年(天慶2)の常陸(ひたち)国軍との合戦に始まる反乱の内容を記し、その最期と死後の冥界(めいかい)からの消息を載せる。本書の成立期、著者、史料としての性格には多くの説があり、古くは事件見聞者の実録的な著作とする説が強かったが近年では事件のかなりのち、11世紀初期に、史料をもとに創作をも加えてまとめられた文学作品とみる説が強くなっている。

[福田豊彦]

『古典遺産の会編『将門記――研究と資料』(1963・新読書社)』『林陸朗校註『将門記』(1975・現代思潮社・新撰日本古典文庫)』『梶原正昭訳注『将門記』全2巻(1976・平凡社・東洋文庫)』『家永三郎他編『日本思想大系8 古代政治社会思想』(1977・岩波書店)』『林陸朗編『論集・平将門研究』(1975・現代思潮社)』『福田豊彦著『平将門の乱』(岩波新書)』


将門記(まさかどき)
まさかどき

将門記

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百科事典マイペディア 「将門記」の意味・わかりやすい解説

将門記【しょうもんき】

軍記物語。〈まさかどき〉とも読む。平将門の乱を将門の動きを中心に記述。文末の注記によれば940年の成立だが,反乱鎮圧からわずか数ヵ月というこの記述を虚構とみなし,乱後数年ないし10年の後に成立したとする説もある。1巻。作者不詳。平将門が乱を起こしてから,平貞盛藤原秀郷(ひでさと)に滅ぼされた次第を和風化した四六駢儷文で記し,とくに戦闘の叙述は迫真性に富む。史料としてばかりでなく日本の戦記文学の端緒を開いたものとして注目される。
→関連項目足柄関軍記小貝川真福寺陸奥話記

将門記【まさかどき】

将門記(しょうもんき)

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日本歴史地名大系 「将門記」の解説

将門記
しようもんき

一冊

分類 戦記

写本 内閣文庫ほか

版本 宮内庁書陵部・国会図書館ほか

解説 「まさかどき」とも。末尾に「天慶三年六月中記文」とあり、天慶三年成立説が有力。平将門を中心に東国における承平・天慶の乱の顛末を記す。古代末の常陸・下総をはじめ東国の状況を知るうえできわめて重要である。

活字本 「群書類従」二〇、「茨城県史料」古代編、「将門記」1・2(昭和五〇―五一年)ほか

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「将門記」の意味・わかりやすい解説

将門記
しょうもんき

平安時代中期の軍記物語平将門の乱を扱った変体漢文の作品。「まさかどき」とも読む。1巻。作者,成立年次とも定説がないが,承徳3 (1099) 年書写本 (真福寺本) の奥書には「天慶三年六月中記文」とあり,それより古い書写とされる楊守敬本もある。承平5 (935) 年将門が伯父たちと争いを起してから,朝廷に対する反乱に発展し,天慶3 (940) 年4月将門らの首が京にもたらされるまでを,将門に同情する立場から描き,後日談として将門が地獄に落ちたことを記す。記事に重複矛盾があり,初め関東で成ったのち,京都で増補されたものかといわれる。律令制の矛盾が集約的に現れた地方の動静を伝える史料として,また中世の軍記物語の先駆として貴重な作品。しかし,『平家物語』などが芸能者などによって広く流布したのに対して,本書は一個の文献にとどまり,後世の「将門伝説」とも無縁であった。

将門記
まさかどき

将門記」のページをご覧ください。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「将門記」の解説

将門記
しょうもんき

「まさかどき」とも。平将門(まさかど)の乱の推移を内容とする軍記物の嚆矢。作者未詳。成立時については乱が終息した940年(天慶3)直後とみる説と,かなりのちに作られたとみる説とにわかれる。将門が一族の内部争いから国衙支配に対抗する闘争を行い,ついには朝廷にはむかい,最後は平貞盛と藤原秀郷(ひでさと)の軍勢に滅ぼされるまでを克明に描写している。東国で乱を目撃していたと思われる人物により作成された実録と太政官で作られた官符などの公的資料とを駆使しており,平将門の乱に関する最も重要な史料となっている。伝本に真福寺本と楊守敬本とがあるが,いずれも巻首を欠く。ほかに略本が伝えられている。「群書類従」「日本思想大系」「東洋文庫」所収。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「将門記」の解説

将門記
しょうもんき

平安中期の軍記物
「まさかどき」とも読む。940年成立。1巻。作者不詳。平将門 (まさかど) の乱の次第について詳細に記した根本史料。漢文体で書かれ,戦記文学として最初のもの。

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世界大百科事典(旧版)内の将門記の言及

【将門記】より

…1巻。現存する伝本がいずれも巻首を欠いているため,その全容を知ることができないが,本書の記事を抄録した《将門記略》などによると,将門の皇胤としての系譜を述べる堂々とした書出しであったらしく,〈女論〉(女性をめぐるトラブル)から将門がその伯父たちと対立し,その同族間の紛争が拡大して,東国を舞台とする反乱事件へとエスカレートするてんまつ,関八州を制圧してみずから〈新皇〉と称したのもつかのまで,その後軍兵たちを帰休させたすきを下野国の押領使藤原秀郷(ひでさと)らに奇襲され,奮戦むなしく本拠地の石井付近であっけなく滅亡するまでの経緯を,実録的な筆致で克明に描き出しており,首尾整った一編の独立した作品としての体裁を示している。この反乱事件については,公の立場からの追討記録と思われる《将門誅害日記(まさかどちゆうがいにつき)》があり,また同時代の藤原純友(すみとも)の西海での反乱(藤原純友の乱)を扱った《純友追討記》のような作品があるが,これらの追討記事と違って,本書の場合は,その叙述の視点が反逆者である将門にきわめて近いところにすえられているのが大きな特色で,そこにこの書の〈軍記文学〉としての独自な展開と意義を認めることができる。…

※「将門記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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