日本古代の律令用語。名前が戸籍,計帳に登録もれになっている者が,みずから名のり出ることを隠首といい,官司の手によって摘発されることを括出という。養老令(718年完成,757年より施行)によれば,隠首や括出による籍帳上の戸口増加は,逃走中の者がそれを悔いて帰還してくる走還による人口増とともに,国司・郡司の功績とされている。大宝令(701年完成)の規定は不明であるが,その施行時期にあたる726年(神亀3)の計帳には〈括首〉と記された実例がある。なお,後年の《延喜主計式》でも〈括首〉とある。もともと課役負担者を確保することを目的とした制度であるが,9世紀に入ると,地方の民衆が課役の軽い京畿内に流入するための方便として隠首を利用しはじめた。これを防ごうとして京畿内における隠首を禁じ,括出をとりやめたところ,今度は浮浪人が増大したという。隠首の禁止とその解禁をくり返した状況が,当時の太政官符の中に見いだされる。
→浮浪・逃亡
執筆者:福岡 猛志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
律令(りつりょう)制下において戸籍、計帳(調、庸賦課の台帳)に記載されていない者が、自分で申し出ることを隠首、官司がこれを摘発した場合を括出という。奈良時代には、課役を忌避するために、出生しても入籍しなかったり、「浮浪」「逃亡」と称して除籍されるといった、偽籍(ぎせき)による農民の抵抗が恒常的にみられたが、政府が隠首・括出を国司や郡司の功績として奨励したために、それほど重大な政治問題とはならなかった。しかし奈良末から平安初期にかけて律令体制が弛緩(しかん)し始めると、偽籍は農民の律令国家に対する積極的な抵抗の手段となり、なかでも隠首・括出は畿外(きがい)の農民が他人の名を借りて税負担の少ない京畿(けいき)内に移籍するための手段として悪用され、律令政府はついに戸籍による農民掌握を断念せざるをえない状態に追い込まれた。
[平田耿二]
『川上多助著『日本古代社会史の研究』(1947・河出書房)』▽『北山茂夫著『奈良時代の政治と民衆』(1953・高桐書院)』▽『直木孝次郎著『奈良時代の諸問題』(1968・塙書房)』▽『長山泰孝著『律令負担体系の研究』(1976・塙書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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