霊彩(読み)れいさい

改訂新版 世界大百科事典 「霊彩」の意味・わかりやすい解説

霊彩 (れいさい)

15世紀中ごろに活躍した明兆(みんちよう)系の画家生没年不詳。もっぱら仏画道釈画を描く。作品に,〈霊彩筆〉あるいは〈灵彩〉(灵は霊の俗字)の落款を入れ,〈脚踏実地〉の白文方印を捺す。霊彩の名は法諱(ほうき)と考えられる。かつて,画伝書で,〈赤脚子〉印を捺す画家,〈破草鞋印〉印を使う明兆と混同されていたが,別人である。山梨の大蔵経寺蔵の《仏涅槃図》は銘文後世の写し)により,1435年(永享7)に駿河浄居寺涅槃会本尊として制作されたものであることがわかる。また,《李朝実録》によれば,九州探題渋川教直の外交使節一員として,63年(寛正4)朝鮮へ渡り,《白衣観音図》を描いて世祖に贈ったとある。霊彩独特の紙面に食い入る鋭い筆法で,人物の確固たる形象構成しており,明兆画にない精神性の深さがある。《寒山図》(五島美術館),《白衣観音図》(玉泉寺),野雲賛の《三酸図》(梅沢記念館)などがのこる。
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百科事典マイペディア 「霊彩」の意味・わかりやすい解説

霊彩【れいさい】

室町中期の画僧。生没年不詳。出身地関東という説が有力。〈脚踏実地〉という一種の雅文印を用いるところから禅僧と推定されている。宋元仏画の構成にならった明兆系の仏画,道釈画を描き,濃彩,水墨ともに巧みで,柔滑で鋭い筆法が特色。代表作《涅槃(ねはん)図》《寒山図》。
→関連項目赤脚子

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朝日日本歴史人物事典 「霊彩」の解説

霊彩

生年:生没年不詳
室町前期の画僧。作品に「脚踏実地」の印を押す。吉山明兆 の弟子と推測される。永享7(1435)年に駿河(静岡県)浄居寺のために「涅槃図」(山梨大蔵経寺蔵)を描いたことがその銘文から知れる。また寛正4(1463)年に朝鮮に渡り,世祖に白衣観音図を贈ったことが『李朝実録』に記録される。その他の事跡は不明だが,落款のある作品が10点余現存する。「寒山図」(五島美術館蔵),「豊干寒山拾得図」(米・バーク氏蔵),「文殊図」(東京国立博物館蔵)などにみられる筆線の繊細さと,鋭敏な形態感覚は,師の作にはみられない優れたものとして,高く評価されている。<参考文献>渡辺一『東山水墨画の研究』

(山下裕二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「霊彩」の意味・わかりやすい解説

霊彩
れいさい

室町時代の画僧。伝歴不明で遺品は道釈画のみ。濃彩の『仏涅槃図』 (1435,大蔵経寺) もあるが,水墨的要素の強い『寒山図』 (五島美術館) ,『文殊図』 (東京国立博物館) が有名。様式的には明兆に近く,周文以降傍流となってからの様相と考えられる。明兆の雄渾さは失ったが,代りに先鋭感が加わっている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「霊彩」の解説

霊彩 れいさい

?-? 室町時代の画僧。
明兆の系統とされる。水墨の仏画,道釈画を得意とし,「脚踏実地」の印をおした。寛正(かんしょう)4年(1463)朝鮮にわたり,「白衣観音図」を国王に献じた。「涅槃(ねはん)図」(山梨県大蔵経寺),「寒山図」(五島美術館)などがつたわる。

霊彩 りょうさい

れいさい

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