室町初期の東福寺の画僧。淡路島に生まれ,若くして同地の安国寺に入り,大道一以(1289-1370)の弟子となり,師より吉山(きつさん)明兆の道号と法諱(ほうき)を授けられた。安国寺において画ばかり描き禅の修行をおこたったので,師から師弟の縁を切られ,大道に捨てられた破れ草鞋(わらじ)にたとえ,自ら〈破草鞋(はそうあい)〉と号し,後に〈破草鞋〉の印章を用いた。その後,彼の画才が認められ,大道和尚に従って東福寺にのぼり,終生,堂守の殿司(でんす)の職にあり,〈兆殿司〉と呼ばれ,画僧として活躍した。14世紀後半は東福寺の諸堂が整備された時代であり,彼は法会に用いる仏画や頂相(ちんそう)の制作に専念した。明兆の文献上の初見は1383年(弘和3・永徳3)東福寺において《五百羅漢図》50幅(現在45幅が東福寺,2幅が根津美術館)の制作に従事した記事である。その制作中,帰郷の暇がないために《自画像》を描いて病臥の生母に贈ったことは,この自画像の模本(東福寺)によって知られる。その後,《聖一国師像》《大涅槃図》《達磨・蝦蟆・鉄拐図》《寒山拾得図》《四十祖像》(以上東福寺)などの道釈人物画の大作,連作を描いた。宋元仏画を範とする着色画が多いが,随所にようやく盛んになりはじめた水墨画の影響が見られ,運筆の太くて力強い描写が特徴である。《大道和尚像》(1394年性海霊見賛,奈良国立博物館)と《聖一国師岩上図》(東福寺)は自然を背景とする水墨による特異な肖像画で,師の人間的な内面が表されている。水墨画の《白衣観音図》(天性寺ほか)を好んで描いたが,それぞれ画風が異なる。なお,詩画軸中の名品《渓陰小築図》(金地院)と《青山白雲図》が明兆の筆に擬せられる。弟子に赤脚子(せつきやくし)と霊彩(れいさい)がいる。
執筆者:林 進
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室町初期の画僧。諱(いみな)は吉山(きちざん)。号は破草鞋(はそうあい)。淡路(あわじ)国(兵庫県)に生まれ、若くして大道一以(だいどういちい)(1289―1370)の門に入り、のち師とともに上洛(じょうらく)、東福寺に入寺して堂守の殿主(でんす)職についたので、兆殿司(ちょうでんす)と俗称される。終生東福寺の絵仏師的な立場を貫き、同寺のために多くの仏画や頂相(ちんぞう)を制作、それらの代表作はいまも東福寺に残る。1386年(元中3・至徳3)に完成した『五百羅漢図』50幅(現在45幅は東福寺、2幅は根津美術館)をはじめ、『聖一国師(しょういちこくし)像』『大涅槃(だいねはん)図』(1408)、『達磨蝦蟇鉄拐(だるまがまてっかい)図』(いずれも東福寺)などの大作がそれで、宋元(そうげん)仏画に範をとりながらも、肥痩(ひそう)のある強い墨線と、やや色調の暗い色彩とを用いて、独自の力強い画風を完成させている。こうした作風は、一之(いっし)や赤脚子(せっきゃくし)、霊彩(れいさい)などに受け継がれ、如拙(じょせつ)―周文(しゅうぶん)の系統を引く相国寺派に対し、東福寺派とよばれている。後年、明兆は仏画以外に純然たる水墨画にも筆を染め、『白衣観音(びゃくいかんのん)図』(静岡県、MOA美術館)や『渓陰小築図』(京都・南禅寺金地院(こんちいん)、国宝)などの作がある。なお東福寺には、明兆が病の母へ描き送ったと伝えられる自画像の模本が現存し、自画像のきわめて早い作例として注目に値する。
[榊原 悟]
『金沢弘著『日本美術絵画全集1 可翁/明兆』(1981・集英社)』
(山下裕二)
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1352~1431.8.20
南北朝期~室町中期の画僧。明兆は法諱,道号は吉山。破草鞵(はそうあい)と号す。長く殿司(とのもりのつかさ)の役にあったので兆殿司(ちょうでんす)と称される。淡路国生れ。幼くして同地の安国寺に入り僧となり,大道一以(だいどういちい)の法を嗣ぐ。その後師に従い東福寺に移る。生来画技を好み,東福寺では画僧として活躍,「五百羅漢図」(1386),「大涅槃(ねはん)図」(1408),「聖一国師像」「達磨(だるま)・蝦蟆(がま)・鉄拐(てっかい)図」(以上,重文)など,多くの仏画や頂相(ちんぞう)を制作。宋元画を範としながらも,力強い運筆による雄渾な画風に特徴がある。なお詩画軸の名品「渓陰小築図」(1413)も明兆筆と推定され,画域は広い。弟子に赤脚子(せっきゃくし)・霊彩(れいさい)がいる。
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…プラハ大聖堂の彫刻家P.パルラーの自刻像(1374‐85)は現存するもっとも古いものの一つで,フィレンツェ洗礼堂扉のギベルティのそれ(1426)などとともに,みずから関与した記念碑的建築や彫刻作品の一隅に自身の肖像を残したいとする念願の表現である。中国や日本では自画像の観念は西洋よりも希薄で,画僧明兆が淡路島に住む母親へ送ったという自画像(14世紀中ごろ)などは例外的である。 自画像の制作に鏡を用いることは15世紀初頭のフランスの写本画に女性が鏡の前に座って自身の姿を描くさまが図示されていること,またデューラーの1484年の銀筆素描の銘文に鏡像である旨が記されていることなどから明らかである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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