霊松寺(読み)れいしようじ

日本歴史地名大系 「霊松寺」の解説

霊松寺
れいしようじ

[現在地名]高槻市天神町二丁目

上宮じようぐう天満宮の西、天神てんじん山の山腹にある。曹洞宗、黄牛山と号し、本尊十一面観音。寺伝によると天平年中(七二九―七四九)行基の開創で、畿内四十九院の一という。本尊は行基自刻と伝え、黄牛山地蔵院と称したが、その後衰退したのを応永一九年(一四一二)無月妙応禅師が再興し、霊光を放つ老松の下より現われた黄金仏を本尊胎内に納めたことより、霊松寺と改め、塔頭六院を建立した。老松はかつて山門傍らにあった黄牛松という。永禄元年(一五五八)正親町天皇の勅願所となり、同二年八月二四日綸旨・勅額を下賜され、三好長慶・義興父子、土岐定義らが檀那となり寺門は隆盛したという。


霊松寺
れいしようじ

[現在地名]西春町北野 天神

天竜山と号し、曹洞宗。本尊薬師如来。天正元年(一五七三)創建、霊岳の開基、慈本を開山とする。創建当初は真言宗薬師寺と称したが、慶長九年(一六〇四)禅僧智公が天松てんしよう(「雑志」は天昌院と書く)と改め曹洞宗に改宗した。寛文一二年(一六七二)正眼しようげん(現小牧市)末寺となり、享保年中(一七一六―三六)に正眼寺の隠居所となった。寛政一二年(一八〇〇)現在の寺号に改めたと「徇行記」「西春日井郡誌」などは記している。万徳まんとく(稲沢市)旧蔵の「灌頂私記」の奥書に「明徳二年五月十三日 於同国春日郡北野薬師寺、御本賜書 交畢」とあり、また「灌頂論釈」の奥書に「応永十八年七月廿六日、於尾州春日郡北野薬師寺、為仏法興隆、如形書写畢 金剛仏子良祐」とあるので、当寺の前身であるという薬師寺はすでに南北朝時代にあり、天正元年は再興の年であろう。


霊松寺
れいしようじ

[現在地名]大町市大字大町 山田町

現大町市街地の東方で、霊松寺山中のほら地形の山腹に建つ。曹洞宗総持そうじ寺の末寺で、大洞山霊松寺と称する。本尊木造釈迦如来坐像。

「信濃霊松寺記」は、明徳四年(一三九三)の春、能登定光じようこう寺の住持実峰良秀禅師により本寺は開創され、仁科盛忠が建立したと記している。また良秀はいったん能登に帰ったが下って応永一一年(一四〇四)春、弟子見方を霊松寺に赴かせ、自らも再び同寺にきたが、この頃、寺の伽藍の建築は完了していたと記し、次いで翌応永一二年、見方は霊松寺住持となったことを伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「霊松寺」の解説

霊松寺

(長野県大町市)
信州の古寺百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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