改訂新版 世界大百科事典 「青苧座」の意味・わかりやすい解説
青苧座 (あおそざ)
中世後期,繊維原料である青苧(カラムシ)の特権的な取引を行っていた商人座。青苧特産地であった越後国の府中,近江国の中継港坂本,青苧取引市場の京都や天王寺等の各地に成立し,三条西家を本所としていた。三条西家が青苧諸座の本所となったのは,14世紀末に正親町(おおぎまち)三条家が知行していた苧(からむし)課役徴収権を継承したことに由来するものであろう。これ以後,三条西家は苧商売に課税するため,美濃,丹波や坂本に苧公事徴収代官を派遣したり,京都に入る諸口に苧公事徴収のための関所を設けたりした。永正・大永年間(1504-28)には若狭入港の苧船からの課役徴収を守護代粟屋氏に委託しており,その権限は天文年間(1532-55)には甲斐,信濃の青苧,白苧に及んだ。こうした苧公事納入が苧取引商人の座的営業特権を支えるものであった。
各地に成立した青苧座のうち天王寺の座衆は,15世紀には産地の越後まで赴いて買付けに当たり,天王寺今宮浜市では少なくとも6~7軒の苧座衆が営業していた。戦国時代,越後で長尾氏が台頭すると越後青苧取引はひとつの転機を迎える。すでに15世紀末には天王寺座衆の越後青苧の仕入れ独占はくずれ,代わって生産地の越後青苧座衆による特権的な畿内移出が盛んになっていたが,大永年間,長尾氏は青苧座頭人の蔵田氏に三条西家の徴収苧公事の減額を交渉させ,青苧取引の統制管理に乗り出している。上杉氏時代になると,青苧座に他国から越後に入港する船の管理,積出し青苧に対する課税を行わせている。こうして長尾,上杉氏の庇護により越後青苧座が産地から若狭,坂本,京都,天王寺に至る青苧流通の主導権を握るようになった。座頭の蔵田氏は青苧座の統制のみならず,上杉氏城下町商人の統制,さらには上杉氏出陣中は城下町府内や春日山城の警備にも当たった。越後青苧座は戦国大名上杉氏の商業統制,城下町管理の一翼をになう御用商人としての性格を帯びていたといえよう。
執筆者:佐々木 銀彌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報