鞠智城跡(読み)くくちのきあと

日本歴史地名大系 「鞠智城跡」の解説

鞠智城跡
くくちのきあと

米原よなばる菊池堀切ほりきり一帯にある古代山城跡。中心域は菊鹿きくろく盆地の東方、標高一四五メートルの通称米原台地に所在する。大宰府の南の備えとして築城された。築城年代は不明であるが、大宰府の北に備えた大野おおの(現福岡県筑紫郡太宰府町・粕屋郡宇美町一帯)、南西方に備えた基肄きい(現佐賀県三養基郡基山町一帯)が「日本書紀」天智天皇四年(六六五)秋八月条に築かせたことがみえ、「続日本紀」文武天皇二年(六九八)五月二五日条に「令大宰府大野、基肄、鞠智三城」とあることから、当城の築城も右の二城と同じ頃と推定される。鞠智は「くくち」と読まれ、和銅六年(七一三)の郡・郷名改正によって菊池と改められ、当城名も改字されたと思われる。以後は菊池城院と記され、「文徳実録」天安二年(八五八)閏二月二四日条に「菊池城院兵庫鼓自鳴」、同年六月二〇日条に「菊池城院兵庫鼓自鳴、同城不動倉十一宇火」、「三代実録」元慶三年(八七九)三月一六日条に「菊池郡城院兵庫自鳴」とある。史料上では以後は確認されず、廃城年は不明。「国誌」には「城郭ノ広大ナルコト知ヘシ」として菊池郡深川ふかがわ(現菊池市)一帯に比定している。昭和五年(一九三〇)頃より米原一帯の踏査が始められ、同四二―四五年、五三―五五年にわたり七次の発掘調査が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「鞠智城跡」の解説

きくちじょうあと【鞠智城跡】


熊本県菊池市堀切、山鹿市菊鹿町米原にある城跡。有明海に注ぐ菊池川の河口から北東に約27km内陸に入った中流域にある、標高160m前後の丘陵地に所在する。城跡は総延長約3.5kmの土塁線や崖線で囲まれた南北約1.2km、東西約1km、面積約64haの規模をもつ。1967年(昭和42)から始められた発掘調査で、掘立柱建物・礎石建物、鼓楼(ころう)ともいわれている八角形建物跡4棟、貯水池跡、貯木場跡などの遺構のほか、南側の崖面3ヵ所で門跡が確認された。7世紀終わりの修築が正史に記され、白村江(はくすきのえ)の戦い後に軍事拠点として築城された古代山城である。出土遺物には、「秦人忍□五斗」と墨書された米の荷札と考えられる木簡、百済(くだら)系の単弁八葉蓮華文軒丸瓦(のきまるがわら)、青銅製の菩薩像など注目すべきものがあり、このほか、炭化米や礎石表面の火災痕跡などの遺構、遺物も確認。7世紀代の東アジアを中心とする国際関係のなかで、北部九州の防衛拠点として大和朝廷が造営した重要な遺跡であることから、2004年(平成16)に国の史跡に指定された。一帯は歴史公園鞠智城・温故創生館として整備され、兵舎や鼓楼などが復元されている。JR鹿児島本線ほか熊本駅の熊本交通センターから産交バス「稗方」下車、徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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