日本歴史地名大系 「鞠智城跡」の解説
鞠智城跡
くくちのきあと
大宰府
繕
治大野、基肄、鞠智三城
」とあることから、当城の築城も右の二城と同じ頃と推定される。鞠智は「くくち」と読まれ、和銅六年(七一三)の郡・郷名改正によって菊池と改められ、当城名も改字されたと思われる。以後は菊池城院と記され、「文徳実録」天安二年(八五八)閏二月二四日条に「菊池城院兵庫鼓自鳴」、同年六月二〇日条に「菊池城院兵庫鼓自鳴、同城不動倉十一宇火」、「三代実録」元慶三年(八七九)三月一六日条に「菊池郡城院兵庫自鳴」とある。史料上では以後は確認されず、廃城年は不明。「国誌」には「城郭ノ広大ナルコト知ヘシ」として菊池郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報