出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
広島県呉市警固屋(けごや)と倉橋島北部にあたる同市の旧音戸町の間にある水路。広島湾から東西に抜ける重要航路で,広島~松山航路の旅客船をはじめ,貨物船,漁船の往来が多い。最狭部の幅85m,水深4~10m。秒速2.5mを超す激しい潮流は,舟唄にも〈船頭かわいや音戸の瀬戸で一丈五尺の櫓がしわる〉とうたわれた。もと地峡であった所を,平清盛が本拠地福原の大輪田泊(兵庫港)から厳島神社に至るために開削したものといわれる。島と本土とは小型渡し船で結ばれていたが,1961年瀬戸をまたぐ音戸大橋(全長172m)が架けられた。らせん型高架橋とループ式道路をとりいれた構造は世界的にも珍しく,吉川英治文学碑もある公園からの展望がよい。
執筆者:藤原 健蔵
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広島県南西部、呉(くれ)市警固屋(けごや)と倉橋(くらはし)島との間にある水路。厳島参詣(いつくしまさんけい)のために、平清盛(きよもり)が開削したと伝えられ、工事を進めるため夕日を扇で招き返したという伝説がある。全長800メートル。幅員は狭く、潮流は激しく最大時には3ノットに達するといわれ、文字どおり「一丈五尺の櫓(ろ)がしなる」と歌われた海上交通の難所であった。1956年(昭和31)幅員を広げ、水深を深くする工事を行い、航行しやすくなった。1961年この水路上に全長172メートル、高さ23.5メートルの音戸大橋が完成した。両端の取り付け道路は螺旋(らせん)式になっている。倉橋島側の橋の付近には清盛塚がある。
[北川建次]
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