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顔元 がんげんYan Yuan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

顔元
がんげん
Yan Yuan

[生]天聡9(1635).4.27.
[没]康煕43(1704).9.30.
中国,清初の儒者。直隷省博野県の人。字は混然。号は習斎。陽明学を学んだが,実践を重んじ,衣食の欲を満たすための実学を学習することが先王の道であると主張したが,共鳴者が得られず,清末から注目されるようになった。『顔氏学記』はその著書の集成。弟子に李きょうがあり,顔李学派と呼ばれる。

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百科事典マイペディアの解説

顔元【がんげん】

中国,明末清初の学者。字は易直,渾然,号は習斎。河北の人。逆境に育ち科挙には及第せず。陸王学朱子学にあきたらず,独自の孔孟の学を提唱。復古的実践主義をもって故郷で講学したが世に容れられず,清末戴望が再発見,中華民国時代に入り大総統徐世昌が大いに顕彰した。

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世界大百科事典 第2版の解説

がんげん【顔元 Yán Yuán】

1635‐1704
中国,清初の学者。河北省博野県の人。字は易直,渾然。号の習斎をもって顔習斎の名でも知られる。初め朱子学を学んだが,やがて読書静座の非現実性を悟って,兵農礼楽などの社会的実用を目的とする実学と,農耕をも含む労働を尊ぶ習行論をとなえ,孔子孟子の本来の面目に帰ることを主張。しかし,彼の考えは弟子の李塨(りきよう)(1659‐1733)による普及活動にもかかわらず,一部の人々にしか受けいれられず,200年後の清末の戴望(1837‐78),また中華民国時代の四存学会によってようやく顕彰された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

顔元
がんげん
(1635―1704)

中国、清(しん)代の儒者。字(あざな)は渾然(こんぜん)、または易直。号は思古人、のち習斎と改める。河北省(直隷(ちょくれい))博野(はくや)県の人。顔李(がんり)学派の祖。順治(じゅんち)年間(1644~1661)の諸生。初め陸王の学を学んだが、その空疎(くうそ)であるのを嫌い、ついで程朱の学を信奉した。養祖母の死に際し、朱子家礼に基づいて喪礼行事を行ったが、人情にそぐわぬ点を多く発見し、これを契機に程朱の学に反対する立場を確立した。晩年、直隷肥郷(ひきょう)(しょうなん)書院に主講となり、文事、武備、経史、芸能の課を設け、六芸(りくげい)(礼・楽(がく)・射・御(ぎょ)・書・数の6種の技芸)を習い世務を講じ、国家の用に備えることを旨とした。その学は躬行(きゅうこう)実践、経世治用(けいせいちよう)を第一義とし、堅忍刻苦を教旨とする。著書に「存性」「存学」「存治」「存人」の4篇(へん)(『四存篇』)があり、とりわけ「存性」「存学」2篇は顔元の思想的立場をよく表している。[山口三夫]

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