頼まれた者に代わって神仏への代参や代垢離(だいごり)をする坊主の姿をした門付芸人。近世,おもに江戸で活躍し,藤沢派(または羽黒派)と鞍馬派に分かれ集団的に居住,寺社奉行の支配を受けた。1842年(天保13)の町奉行所への書上には〈願人と唱候者,橋本町,芝新網町,下谷山崎町,四谷天竜寺門前に住居いたし,判じ物の札を配り,又は群れを成,歌を唄ひ,町々を踊歩行き,或は裸にて町屋見世先に立,銭を乞〉とあり,乞食坊主の一種でもあった。その所行により,すたすた坊主,わいわい天王,半田行人(はんだぎようにん),金毘羅(こんぴら)行人などとも呼ばれ,その演じる芸能は願人踊,阿呆陀羅経,チョボクレ,チョンガレなど多種で,後にかっぽれ,浪花節なども派生した。民俗芸能として関東の万作(まんさく)踊,富山県小矢部(おやべ)市に願念坊踊,秋田県南秋田郡八郎潟町の願人踊が残り,歌舞伎舞踊の長唄《まかしょ》や世話物狂言の点景人物に面影を残す。
執筆者:山路 興造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
僧形の大道芸人。依頼者にかわって代参(だいさん)、代待(だいまち)、代垢離(だいごり)をする代願人。もと江戸・東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)の支配下で、僧侶(そうりょ)の欠員を待って僧籍に入ることを願っていた者たちをさすという説もある。江戸時代には藤沢(ふじさわ)派(羽黒(はぐろ)派)と鞍馬(くらま)派の2派があり、江戸の市街地で集団生活をしていた。元禄(げんろく)(1688~1704)のころには馬喰(ばくろう)町や橋本町に住み、天保(てんぽう)(1830~44)のころには芝新網町、下谷山崎町、四谷天竜寺門前のあたりに住んでいた。判じ物、御日和御祈祷(おひよりごきとう)、和尚今日(おしょうこんにち)、庚申(こうしん)の代待、半田行人(はんだぎょうにん)、金毘羅行人(こんぴらぎょうにん)、すたすた坊主、まかしょ、わいわい天王、おぼくれ坊主(ちょぼくれ、ちょんがれ)、阿呆陀羅経(あほだらきょう)、住吉踊(すみよしおどり)などの異称があるのは、彼らの大道芸が多種多様であったことを物語る。滑稽(こっけい)、諧謔(かいぎゃく)をなし、卑俗な芸を演じたため民衆に親しまれた。門付(かどづけ)の祭文(さいもん)も語り、後の浪花節(なにわぶし)やかっぽれに影響を与え、歌舞伎(かぶき)にもその風俗芸能が取り入れられた。
[関山和夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈ヤートコセ〉という囃子ことばはその掛声のなごりである。近世以降,伊勢参りの旅人や,願人(がんにん)坊主などの下級の宗教者的芸能者の手により全国に運ばれ,《津軽願人節》《隠岐祝い音頭》など伊勢音頭系統の唄の分布はきわめて広く,各地に定着して祝唄(祝儀唄)や土搗(つちつき)唄に転用されているものも多い。【仲井 幸二郎】。…
…茜(あかね)染の布をめぐらした菅笠(すげがさ)や茜木綿の前垂れなどにも特徴がある。江戸時代には願人坊主(がんにんぼうず)が持ち歩いて各地に流行させた。後に生まれたかっぽれや万作踊などに影響を与えている。…
…3世坂東三津五郎七変化(しちへんげ)所作事《月雪花名残文台(つきゆきはななごりのぶんだい)》の一。当時の江戸市中を,〈まかしょまかしょ〉と叫びながら札をまき,寒参りを代行する願人坊主(がんにんぼうず)の姿を舞踊化したもの。眼目は〈ちょぼくれ〉とクドキ。…
…清元。原曲の常磐津《願人坊主》は,1811年(文化8)3月江戸市村座で3世坂東三津五郎により初演された。七変化《七枚続花の姿絵(しちまいつづきはなのすがたえ)》の一つ。…
※「願人坊主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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