デジタル大辞泉
「阿呆陀羅経」の意味・読み・例文・類語
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あほだら‐きょう‥キャウ【阿呆陀羅経】
- 〘 名詞 〙 ( 「あほだら」を仏典の陀羅尼、曼陀羅などにこじつけて経文めかした語 ) 乞食坊主が小さな二個の木魚をたたき、または扇子で拍子を取りながら、世上の事件などに取材して作った八八調の文句を、「仏説あほだら経」という唄い出しで唄った俗謡。また、それを唄って戸ごとを巡り、あるいは街頭で演じて銭を乞うた乞食坊主。宝暦(一七五一‐六四)以後、大坂に起こり、のち江戸にも伝わった。また、大道芸としてだけでなく、明治以降、寄席芸としても行なわれるようになった。
- [初出の実例]「安保陀羅経に曰く、武士(さぶらひ)は二本ざし猟師は鳥さし〈略〉といふ」(出典:洒落本・意気客初心(1836)上)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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阿呆陀羅経 (あほだらきょう)
明治以降,浪花節として大成する以前,その先行芸能として江戸時代末期から行われていた語りの一種。近世に入り山伏を中心に〈祭文(さいもん)〉が芸能化し,法螺(ほら)貝や錫杖(しやくじよう)を伴奏に面白おかしく聞かせるようになり,次いで三味線を用いての〈歌祭文〉を生む。幕末近くに〈デロレン祭文〉とか〈ちょぼくれ〉〈ちょんがれ〉と呼ばれる祭文語りが輩出するが,阿弥陀経をもじった読経まがいの文句や節で巷談・ニュースまがいの文句を聞かせた〈阿呆陀羅経〉も同種のもので,次代に〈浮連節(うかれぶし)〉を生む。
→浪花節
執筆者:織田 紘二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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阿呆陀羅経
あほだらきょう
俗謡の一種。江戸時代後期に流行し、近代に及んだ。世態、風俗、時事などから取材した戯(ざ)れ文句を、経を読むように歌った。「仏説あほだら経……」で始まり、小さな木魚をたたいて拍子をとり合の手を入れながら早口に歌うところに特色がある。願人坊主や僧形の芸人がよく歌った。安永(あんえい)・天明(てんめい)(1772~1789)ごろの発生という。文化(1804~1818)のころ呑龍(どんりゅう)という説教坊主が大坂や名古屋で阿呆陀羅経を口演して評判だったことが『摂陽奇観』『見世物雑志』などにみえる。明治時代にも「尽し物」が大いに受けていた。祭文(さいもん)、ちょぼくれ(ちょんがれ)などとともに浪花節(なにわぶし)成立への一過程をなす。
[関山和夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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阿呆陀羅経
あほだらきょう
江戸時代中期,願人坊主といわれた僧形の賤民,乞食坊主が街頭で行なった時事風刺の滑稽な俗謡。「ちょぼくれ」ともいわれるが不明な点もある。錫杖,ほら貝などを伴奏にし,戸ごとに銭を請うた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の阿呆陀羅経の言及
【願人坊主】より
…1842年(天保13)の町奉行所への書上には〈願人と唱候者,橋本町,芝新網町,下谷山崎町,四谷天竜寺門前に住居いたし,判じ物の札を配り,又は群れを成,歌を唄ひ,町々を踊歩行き,或は裸にて町屋見世先に立,銭を乞〉とあり,乞食坊主の一種でもあった。その所行により,すたすた坊主,わいわい天王,半田行人(はんだぎようにん),金毘羅(こんぴら)行人などとも呼ばれ,その演じる芸能は願人踊,[阿呆陀羅経],チョボクレ,チョンガレなど多種で,後にかっぽれ,浪花節なども派生した。民俗芸能として関東の[万作(まんさく)踊],富山県小矢部(おやべ)市に願念坊踊,秋田県南秋田郡八郎潟町の願人踊が残り,歌舞伎舞踊の長唄《[まかしょ]》や世話物狂言の点景人物に面影を残す。…
※「阿呆陀羅経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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