静岡県伊豆の国市寺家(じけ)にある高野山(こうやさん)真言宗の寺。天主君山(てんしゅくんざん)鶴林寺(かくりんじ)と号する。古くは天平(てんぴょう)年間(729~749)の創建と伝えるが、『吾妻鏡(あづまかがみ)』によると、1189年(文治5)源頼朝(よりとも)の奥州藤原氏討伐に際し、夫人政子(まさこ)の父北条時政(ときまさ)が戦勝祈願のために建てたとされる。その後は北条氏の寺として繁栄したが、豊臣(とよとみ)秀吉の韮山城攻撃のとき兵火にかかり、本尊だけを取り出して全山焼失した。本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)、不動明王ならびに二童子像、体内銘札2枚、毘沙門天(びしゃもんてん)立像はいずれも鎌倉時代初期運慶(うんけい)の作で、国の重要文化財に指定されている。境内に北条時政、足利(あしかが)茶々丸の墓がある。
[野村全宏]
静岡県伊豆の国市の旧韮山町にある真言宗の寺。天主君山と号す。天平のころ行基が聖武天皇の勅により開創したと伝えるが,源頼朝の旗上げ祈願の寺として有名。《吾妻鏡》には頼朝の奥州征伐の成功を祈って北条時政が1189年(文治5)6月に建立したと記されている。鎌倉幕府滅亡後は有力な外護者もなく衰微していったようだが,近年の発掘調査の結果,往時は平泉の毛越寺,鎌倉の永福寺などと並び浄土庭園様式をそなえていたことが明らかになった。寺域は国史跡に指定されている。本尊は弥陀三尊であるが,大御堂には運慶作と伝わる代表的な東国の鎌倉彫刻木造阿弥陀如来座像のほか,不動明王および二童子像,毘沙門天像が安置され,いずれも重要文化財の指定をうけている。なお不動・毘沙門2体の胎内から運慶の造像銘札2枚(重文)が発見されている。境内に時政,堀越公方足利茶々丸の墓がある。
執筆者:長谷川 匡俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…そこに鎌倉幕府の文化受容の態度がうかがえよう。86年北条時政の発願になる阿弥陀三尊などの諸像が伊豆の願成就院に,89年には和田義盛夫妻を檀越(だんおつ)とする群像が三浦半島の浄楽寺に,いずれも運慶によって造立されたが,それらの作風がいかにも東国の気風に合った新鮮な力強さを示している点が注目される。おそらくこれが南都復興時の慶派の作風を主導したであろうし,以後の鎌倉地方彫刻の基礎となったのである。…
※「願成就院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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