日本歴史地名大系 「飯田郷」の解説
飯田郷
はんだごう
郡東部において平安時代後半に成立した別名で、以後中世を通じて存在した。玖珠川右岸とその支流
飯田郷本名の飯田氏居館は松木川中流域の左岸、松木の飯田の丘陵地にあった。南北朝期、当郷などの村々地頭職は田村貞広に与えられるが、貞広は観応元年(一三五〇)一〇月二六日には嫡子徳増丸(氏能)に譲っている(「田原貞広譲状」大友家文書録)。延文五年(一三六〇)八月二八日足利義詮は大友氏時に命じて飯田郷内の松行名などに対する帆足道種以下の濫妨を停め、下地を氏能に交付するよう命じている(「足利義詮御判御教書案」入江文書)。康暦元年(一三七九)一二月二四日には氏能より嫡子徳一丸(親貞)に当郷などの地頭職を譲与することが認められている(「足利義満袖判下文」同文書)。室町期の年月日未詳玖珠郡飯田郷名々田数注文(上田節蔵蔵野上文書)には飯田郷七〇町として六名の記載があり、前掲延文五年の御教書案にみえる
〔松行名〕
現松木字飯田を中心に松木川の左岸と
飯田郷
いいだごう
浜松市飯田町・下飯田町付近に比定される。
飯田郷
いいだごう
飯田郷
いいだごう
- 島根県:益田市
- 飯田郷
現益田市の飯田町・
飯田郷
いいだごう
- 長野県:飯田市
- 飯田郷
古代は「和名抄」所載の
飯田郷
いいだごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報