デジタル大辞泉
「中西梅花」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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なかにし‐ばいか【中西梅花】
- 詩人。本名幹男。江戸浅草生まれ。読売新聞、国民新聞の記者を経て虚無的傾向に立つ異色の詩人として活躍。小説も多く書いた。晩年、不遇のうちに没した。著に「新体梅花詩集」など。慶応二~明治三一年(一八六六‐九八)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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中西梅花
没年:明治31.9.30(1898)
生年:慶応2.4.1(1866.5.15)
明治時代の詩人,小説家。浅草千束町の漢方医済里の子。幼少時は学校制度の整わぬ時代でもあり,特に学校には行かなかった。21,2歳ごろから文学創作を始め,幸田露伴,尾崎紅葉らに接近し,内田魯庵とも親しかった。明治21(1888)年ごろ,読売新聞社に入社し,小説を発表したが,紅葉と対立して退社。その後,徳富蘇峰との縁で『国民新聞』に関係する。24年『新体梅花詩集』を刊行。森鴎外,森田思軒,蘇峰の序文があり,梅花が注目されていたことが知られる。粗雑な新体詩が流行していた時代に,その作品は極めて破格,詩想的にも大胆で,近代詩の萌芽を含んでいる。精神に乱調を来し,6年あまりの療養生活ののち,死去。<参考文献>『近代詩集Ⅰ』(日本近代文学大系53巻)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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中西梅花 なかにし-ばいか
1866-1898 明治時代の詩人,小説家。
慶応2年4月1日生まれ。明治21年ごろから23年まで読売新聞社につとめ,同紙上に「国事探偵この手柏」などの小説や批評を発表。24年「新体梅花詩集」を刊行し,自由奔放な詩風で注目された。明治31年9月30日死去。33歳。江戸出身。本名は幹男。別号に落花漂絮(ひょうじょ)。
【格言など】世の中は/唯おもしろきものなるを/其おもしろきものとては/唯現在の今日のほか/明日も明後日も無きものを(「出放題」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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中西梅花
なかにしばいか
[生]慶応2(1866).4.1. 江戸
[没]1898.9.3. 東京
詩人,小説家。本名,幹男。 1888年読売新聞社に入り,『機姫物語』 (1889) ほか数編の小説を書いたが大成せず 90年退社。奔放な情熱と東洋的な諦観と虚無の交錯する『新体梅花詩集』 (91) を残してまもなく精神に異常をきたした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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中西 梅花 (なかにし ばいか)
生年月日:1866年4月1日
明治時代の詩人;小説家
1898年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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