馬寮(読み)メリョウ

デジタル大辞泉 「馬寮」の意味・読み・例文・類語

め‐りょう〔‐レウ〕【馬寮】

律令制で、官馬飼養調習馬具のことを扱い、また、諸国御牧みまきの馬をつかさどった役所左右に分かれ、それぞれ四等官ほか馬医ばい馬部めぶ使部しぶなどの職員が置かれた。うまのつかさ。うまづかさ。まりょう

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精選版 日本国語大辞典 「馬寮」の意味・読み・例文・類語

め‐りょう‥レウ【馬寮】

  1. 〘 名詞 〙 令制における官司の一つ。兵衛府被官で、官牧から貢する官馬の調習・飼養および供御の乗具の調製などをつかさどる役所。左右に分かれ、各寮に頭・助・大少允・大少属の四等官のほか、馬医・馬部・直丁飼丁などの官人を置く。桓武朝の初期のころ、左右を合わせて主馬寮としたが、のち旧に復した。うまつかさ。
    1. [初出の実例]「調肥閑馬。不飼丁。為馬寮之㝡」(出典令義解(718)考課)

うま‐りょう‥レウ【馬寮】

  1. 〘 名詞 〙うまつかさ(馬寮)
    1. [初出の実例]「左右むまれうもいらんとも申を、色色おほせつけられてまいる」(出典:御湯殿上日記‐明応五年(1496)二月二三日)

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改訂新版 世界大百科事典 「馬寮」の意味・わかりやすい解説

馬寮 (めりょう)

日本の古代に,朝廷における馬の飼養,調習にあたった官司。大宝・養老令制では左右馬寮があり,それぞれに頭,助,大允,少允,大属,少属,馬医(うまのくすし)等の官人と,馬部(めぶ)60人,飼丁等が所属した。元来,朝廷の馬は東国などから貢上され,大和,河内などに住む馬飼造(うまかいのみやつこ)のひきいる集団によって飼育されており,令制もその体制を継承した。左右の馬寮には飼戸が所属し,飼戸からは飼丁が交代で馬寮に出仕し,馬飼造が馬部としてこれを統率した。なお《延喜式》によれば左馬寮には166烟,右馬寮には127烟の飼戸が所属していた。765年(天平神護1)にいたり,内廷の儀礼兵事に用いる馬を管掌する内厩寮(ないきゆうりよう)が新設され,779年(宝亀10)には左右馬寮が統合されて主馬寮(しゆめりよう)が成立,さらに平安初期の808年(大同3)主馬寮が左馬寮,内厩寮が右馬寮となって令制の左右馬寮が復活した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬寮」の意味・わかりやすい解説

馬寮
めりょう

令(りょう)制官司(かんし)の一つ。「まりょう」とも「うまのつかさ」とも読み、唐名では典厩(てんきゅう)にあてる。左右2寮あり、厩(うまや)にいる官馬の飼育、調教、御料の馬具、穀草の配給や飼部(しぶ)の戸口の名籍(みょうじゃく)をつかさどった。職員には頭(かみ)1人、助(すけ)1人、大允(だいじょう)1人、少允1人、大属(だいさかん)1人、少属1人の四等官のほか、その下に馬医2人、馬部(めぶ)60人、使部(つかいべ)20人、直丁(じきちょう)2人や雑戸(ざっこ)の飼丁(しちょう)が所属する。のちには令外(りょうげ)に馬寮御監(みげん)や史生(ししょう)が置かれた。

[渡辺直彦]

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世界大百科事典(旧版)内の馬寮の言及

【平城宮】より

…このほか,この地域を中宮とする説もある。
[官衙区域]
 平城宮内で見つかった官衙区域のうち名称が推定できたものは,馬寮(めりよう),大膳職(だいぜんしき),陰陽寮(おんみようりよう),式部省,兵部省,民部省,造酒司(さけのつかさ)等であり,その遺跡を直接確認したものは馬寮,大膳職,陰陽寮,造酒司である。馬寮は平城宮西辺にあって,長い細殿的な建物からなり,その細殿にかこまれて広い空間がある。…

※「馬寮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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