日本の古代に,朝廷における馬の飼養,調習にあたった官司。大宝・養老令制では左右馬寮があり,それぞれに頭,助,大允,少允,大属,少属,馬医(うまのくすし)等の官人と,馬部(めぶ)60人,飼丁等が所属した。元来,朝廷の馬は東国などから貢上され,大和,河内などに住む馬飼造(うまかいのみやつこ)のひきいる集団によって飼育されており,令制もその体制を継承した。左右の馬寮には飼戸が所属し,飼戸からは飼丁が交代で馬寮に出仕し,馬飼造が馬部としてこれを統率した。なお《延喜式》によれば左馬寮には166烟,右馬寮には127烟の飼戸が所属していた。765年(天平神護1)にいたり,内廷の儀礼や兵事に用いる馬を管掌する内厩寮(ないきゆうりよう)が新設され,779年(宝亀10)には左右馬寮が統合されて主馬寮(しゆめりよう)が成立,さらに平安初期の808年(大同3)主馬寮が左馬寮,内厩寮が右馬寮となって令制の左右馬寮が復活した。
執筆者:笹山 晴生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
令(りょう)制官司(かんし)の一つ。「まりょう」とも「うまのつかさ」とも読み、唐名では典厩(てんきゅう)にあてる。左右2寮あり、厩(うまや)にいる官馬の飼育、調教、御料の馬具、穀草の配給や飼部(しぶ)の戸口の名籍(みょうじゃく)をつかさどった。職員には頭(かみ)1人、助(すけ)1人、大允(だいじょう)1人、少允1人、大属(だいさかん)1人、少属1人の四等官のほか、その下に馬医2人、馬部(めぶ)60人、使部(つかいべ)20人、直丁(じきちょう)2人や雑戸(ざっこ)の飼丁(しちょう)が所属する。のちには令外(りょうげ)に馬寮御監(みげん)や史生(ししょう)が置かれた。
[渡辺直彦]
…このほか,この地域を中宮とする説もある。
[官衙区域]
平城宮内で見つかった官衙区域のうち名称が推定できたものは,馬寮(めりよう),大膳職(だいぜんしき),陰陽寮(おんみようりよう),式部省,兵部省,民部省,造酒司(さけのつかさ)等であり,その遺跡を直接確認したものは馬寮,大膳職,陰陽寮,造酒司である。馬寮は平城宮西辺にあって,長い細殿的な建物からなり,その細殿にかこまれて広い空間がある。…
※「馬寮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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