日本大百科全書(ニッポニカ) 「馮道(ふうどう)」の意味・わかりやすい解説
馮道(ふうどう)
ふうどう
(882―954)
中国、五代の政治家。「ひょうどう」とも読む。瀛(えい)州景城(河北省献県)の人。字(あざな)は可道。唐末に燕(えん)の劉守光(りゅうしゅこう)に仕え、守光が後晋(こうしん)に敗れたのちは李存勗(りそんきょく)(後唐(こうとう)の荘宗)に仕えて翰林(かんりん)学士になる。次の明宗の代には博識多才と他人と競うことのない人柄を買われて宰相に抜擢(ばってき)された。以後、五つの王朝(後唐、後晋、遼(りょう)、後漢(こうかん)、後周(こうしゅう))11人の天子に高位高官として仕えること30年、宰相を20余年務めた。クーデターに明け暮れた乱世にあって、同時代の人々から「寛厚の長者」と称された馮道は、後世になって無節操、恥知らず者の代表と目される。それは、君に忠といわず国に忠といい、虚名に誤られることなく何事にも現実を重視せよ、と主張した彼の人生哲学を誤解した見解であろう。932年に彼の首唱によって始められ21年かかって完成した儒教の九経の出版は、経書の木版印刷の最初とされ、グーテンベルクの業績に対比されるほど文化史的意義が深い。
[礪波 護]
『礪波護著『馮道』(1966・人物往来社)』