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薩土盟約 さつどめいやく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

薩土盟約
さつどめいやく

慶応3 (1867) 年6月,兵庫開港勅許の直後,薩摩藩討幕派西郷隆盛小松帯刀と,土佐藩公議政体派の坂本龍馬後藤象二郎らの間に結ばれた盟約で,王政復古と雄藩連合政権の樹立を掲げており,土佐派の意見が強く反映されている。武力討幕への過渡期を示す。

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百科事典マイペディアの解説

薩土盟約【さつどめいやく】

1867年7月23日(慶応3年6月22日)鹿児島藩薩摩藩)の小松帯刀西郷隆盛大久保利通らと,高知藩(土佐藩)の後藤象二郎福岡孝弟坂本竜馬中岡慎太郎らは京都で会合,倒幕挙兵に替わり,大政奉還骨子とする政治同盟を結んだ。

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世界大百科事典 第2版の解説

さつどめいやく【薩土盟約】

幕末期に薩摩藩と土佐藩とが締結した,幕藩制に代わる国家を構想しようとした政治同盟。この構想は,1867年(慶応3)5月の四侯会議解体後の政局のなかで,討幕挙兵論に対応して成立したもので,大政奉還論にもとづく。この四侯会議とは,島津久光松平慶永山内豊信伊達宗城が,兵庫開港の勅許および長州処分の問題について朝廷から諮問をうけるため京都に会同したもので,そのことにより将軍に代わって雄藩諸侯に政権を委任させようとする薩摩藩指導部の考え方もあった。

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大辞林 第三版の解説

さつどめいやく【薩土盟約】

幕末期、薩摩・土佐両藩の政治協定。1867年大政奉還と公議政体の樹立を目的として締結された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

薩土盟約
さつどめいやく

幕末維新期に、薩摩藩と土佐藩との間に締結された大政奉還・公議政体を目ざした盟約。1867年(慶応3)6月22日、土佐藩の後藤象二郎(しょうじろう)・福岡孝弟(たかちか)・坂本龍馬(りょうま)と、薩摩藩の小松帯刀(たてわき)・西郷隆盛(たかもり)・大久保利通(としみち)らとの間で京都で成約された。内容は、将軍の政権奉還と朝廷のもとに諸侯会議を基軸として政治を運営するというもの。薩長連合による倒幕の動きを察知した後藤らは、坂本のいわゆる「船中八策(せんちゅうはっさく)」の構想をも一部取り入れ、平和的な政権移行を図るこの路線で藩論をまとめて薩摩側に働きかけた。薩摩側もまた、倒幕準備のための時間かせぎ、予想される幕府の大政奉還拒否による倒幕の名分獲得などの思惑で、この構想をいれたと考えられる。[芝原拓自]
『維新史料編纂事務局編『維新史』全6冊(1939~41・明治書院) ▽田中彰著『明治維新政治史研究』(1963・青木書店)』

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世界大百科事典内の薩土盟約の言及

【大政奉還】より

…こうした公議政体論は,肥後藩士横井小楠,薩摩藩士五代友厚や幕臣大久保忠寛(一翁)らにもみられ,坂本竜馬はこの大久保の影響をうけたといわれている。 1867年6月22日,後藤は,薩摩藩に働きかけて薩土盟約を結んだ。これは後藤のほかに,土佐藩の寺村左膳,福岡孝弟,真辺栄三郎,中岡慎太郎らが加わり,薩摩藩の小松帯刀(たてわき),西郷隆盛,大久保利通らとの協議によって成ったもので,公議政体路線と討幕派路線とが微妙にからみ合っていた。…

※「薩土盟約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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