鳥坂城跡(読み)とつさかじようあと

日本歴史地名大系 「鳥坂城跡」の解説

鳥坂城跡
とつさかじようあと

[現在地名]中条町羽黒

櫛形くしがた山脈北端、黒川くろかわ村境に屹立する鳥坂山(四三八・八メートル)上にある。山頂部の遺構は東西約六〇メートル・南北約三〇メートルの長楕円形の平坦な広場で、三段に区切られている。南・北側は急斜面で東西に尾根が続く。西北へ約二〇〇メートル下がった通称十三仏じゆうさんぶち岩には土塁と切口一〇メートルぐらいの掘割跡が認められる。

平安末期以降、秋田城介の流れをくむ城氏により築かれたらしい。「吾妻鏡」建仁元年(一二〇一)五月一四日条によれば城小太郎資盛は「越後国鳥坂」に城郭を構えて鎌倉幕府に背き、幕府は上野にいた佐々木盛綱に追討を命じた。


鳥坂城跡
とつさかじようあと

[現在地名]石井町石井 白鳥・尼寺

標高七二メートルの茶臼ちやうす山に位置した山城で、茶臼山城ともいう。気延きのべ(二一二・三メートル)から北方へ延びた尾根の小突起上にあたり、眺望は非常によい。城山の南東側斜面は急傾斜になっている。遺構は尾根続きに大小三重の堀切(空堀)を設け、傾斜の比較的緩い北側斜面を中心に同心円形の曲輪が階段状に配置されている。中心の曲輪は狭小で、曲輪の段差も低く、やや古い形態をとどめているようである。


鳥坂城跡
とりさかじようあと

[現在地名]新井市姫川原 鳥坂城

せき川左岸の標高三五〇メートルほどの山頂部に築造された戦国式山城。地元では「とっさか」と発音する。現在は貯水塔付近から頂上にかけて階段状の八級の曲輪と二条の空堀がみられ、頂上の本丸背後の高地に続く尾根に連続した五条の壮大な空堀がある。細い尾根状の山頂部を堀切で幾重にも断ち切り、郭を並べ、さらに腰曲輪を組合せる。本郭はその中央部にあり、並郭式の縄張りをとる。鳥坂城の根小屋は城の東裾にある現在の菓成かじよう寺寺域とされ、東向きの前面は深い小川によって遮られた段丘縁にある。北西の一隅に幅三メートル、高さ二メートルの土塁状の高まりがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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