鳥羽村(読み)とばむら

日本歴史地名大系 「鳥羽村」の解説

鳥羽村
とばむら

[現在地名]明石市鳥羽・西明石北町にしあかしきたまち一―三丁目・明南町めいなんちよう一―三丁目・野々上ののうえ一―三丁目・松の内まつのうち一―二丁目・あさひおか沢野さわの一―二丁目・花園町はなぞのちよう

印南野いなみの台地の東端、山陽道沿いに開発された村。南および東は和坂かにがさか村・小久保こくぼ村・藤江ふじえ村。野々上組に所属。明石藩主松平光重が寛永一六年(一六三九)から開拓に着手、はやし村の林近江守藤原行正をはじめ次郎太夫・助左衛門・左右衛門・喜兵衛・次郎兵衛・市兵衛・善兵衛の八戸が入植したという(林崎村郷土誌)


鳥羽村
とばむら

[現在地名]八木町字鳥羽

大堰おおい川と園部そのべ川の合流地点南西部に広がる村。東は大堰川を挟んで山室やまむろ村に対し、西と南は玉井たまのい村、西北部は室河原むろがわら村に続く。園部藩領。

中世は吉富よしとみ新庄のうちで、村名は延元三年(一三三八)寄進状(前田家文書)

<資料は省略されています>

とみえるのが早い。また応永四年(一三九七)九月三日足利義満は、鳥羽村・刑部おさかべ郷預所職を神護じんご(現京都市右京区)に安堵する旨の御教書を出している(神護寺文書)


鳥羽村
とばむら

[現在地名]貝塚市鳥羽

新井にい村の南にある南郡の村で、南は日根郡石才いしざい村。村内を貝塚寺内から水間みずま村へいたる水間街道が通る。中世麻生あそう郷に属し、応永三一年(一四二四)八月日付近木庄高野段銭散用状(高野山文書)には近木こぎ庄への出作分の段銭として「二貫七百文麻生鳥羽」とみえる。天文二年(一五三三)五月八日の田地売券(中家文書)に「富庭村」、同二一年一二月二九日の孫二郎田地売券(同文書)に「トハノ森シマ村」とあり、麻生郷の本郷で、もとはしま村・貝塚村付近まで鳥羽に含まれていたようである。


鳥羽村
とばむら

[現在地名]倉敷市鳥羽

吉田よしだ(別府村枝村)の東に位置する。丘陵地から北に小高い丘が突出し、その丘と丘陵地との間に村が形成されている。「備中誌」によれば、古代この辺りは海で当地は鳥羽島という島であったという。また、後鳥羽天皇の皇子桜井親王の後継と伝えられる宣深僧正が当地に小庵(宝幢院)を結んで、この地に後鳥羽帝の塚を造ったので、村を鳥羽と名付けたともいう。


鳥羽村
とりばむら

[現在地名]前橋市鳥羽町

北は元総社もとそうじや村、東は江田えだ村、南は中尾なかお(現高崎市)、西は稲荷台とうかだい(現群馬郡群馬町)。寛文郷帳に田方一一二石七斗余・畑方一六九石五斗余とあり、高崎藩領であった。正徳年間(一七一一―一六)の植野堰最初掘立御普請書(武井文書)では高崎藩領、全村高が植野うえの堰の用水を受けている。寛延二年(一七四九)まで高崎宿へ加助郷を出していたが、同年前橋藩領となって加助郷は中止された(更正高崎旧事記)


鳥羽村
とつぱむら

[現在地名]佐原市鳥羽

下総台地北部に位置し、東は観音かんのう村。同村との境を成田道が通る。集落は北西の大戸おおと村に連なる丘陵地に形成され、水田はおもに同村へ流れる水路に沿って中央部の谷に広がる。慶長四年(一五九九)の矢作領検地では検地高一一〇石余(「部冊帳」伊能家文書)。同年の検地帳(鳥羽区有文書)に「鳥羽郷」とみえ、田一一町一反余・畑一町二反余・屋敷三反余。


鳥羽村
とばむら

[現在地名]鯖江市鳥羽町・神明しんめい町二丁目・神中かみなか町一―三丁目・御幸みゆき町一―二丁目

北陸街道の東方、鳥羽中とばなか村の北に位置し、東は徳尾とくお(現福井市)。「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)四月一九日条所載の内宮役夫工料未済注文に「鳥羽」がみえる。また「親元日記」寛正六年(一四六五)七月二五日条に「越前鳥羽保事、可預御執合ノ由云々」とある。

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では鳥羽郷のうちに田所たどころ村・岡野おかの村・鳥羽中村とともに含まれる。正保郷帳に村名がみえ、田方一千一九六石余・畠方五八六石余。元禄郷帳から高九六二石余となり、西鳥羽村が当村から分村。


鳥羽村
とりまむら

[現在地名]加美町鳥羽

清水きよみず村の北、三国みくに岳の南東にあたり、杉原すぎはら川の上流域に位置する。慶長国絵図には「鳥ま村」と記載される。正保郷帳では田方一〇一石余・畑方一一三石余、幕府領。延宝五年(一六七七)の検地帳(鳥羽区有文書)によれば高二一五石余・反別一七町余、小物成は山手銀三四匁余・野藪役銀四分・炭竈役銀一〇八匁・鉄砲役銀三匁・茶役銀九匁、青玉あおたま大明神・大歳おおとし大明神、薬師堂があった。元禄郷帳では高一七七石余。寛政元年(一七八九)の年貢免状(鳥羽区有文書)によれば小物成銀一五二匁余のほかに水車運上銀七匁がある。この水車は線香製造のため杉の葉を搗くのに使われたという。


鳥羽村
とばむら

[現在地名]幡豆町鳥羽

谷間を流れる鳥羽川沿いの山付きの集落と、鳥羽港を中心に発達した海岸集落とに二分される。伊勢の鳥羽(現三重県)とは、海上二五キロの距離にある。海岸集落は、式内社播頭はず神社のある宮崎みやざき(現吉良町)と隣接し、現在も同社の氏子が多い。山付きの集落では、神明社の西地続きに神宮じんぐう寺が建立されていた。通因つういん寺蔵阿弥陀如来坐像の胎内銘文は文正二年(一四六七)三月八日記名で、「土馬保 願主 釈了尊」とあり、土馬とば保とも記した。「三河志」では「戸羽村」と記す。

近世は現町域の大半が、松平右衛門太夫領知から松平対馬守の知行地になったのに対し、当村だけは、はじめは吉良上野介領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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