出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
明治10年代の政論新聞の総称。娯楽本位で小型判の小新聞(こしんぶん)に対して大判であったためのよび名。言論中心の紙面で,1面には難解な漢文調の社説が掲載された。記者は自由民権運動の政治活動家で,政治家と新聞記者の職業的分化はない。購読料は高く,読者層は政治的関心の高い士族・豪農層だった。代表的なものに「郵便報知新聞」「朝野(ちょうや)新聞」など。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1874年ごろから明確になる。大新聞は紙型が現代の新聞のブランケット判に近いのに対し,小新聞はその半分のタブロイド判であるため,こう呼ばれた。しかし,内容や読者層においても両者の特徴は対照的であった。…
…販売収入,広告収入などを経営の基盤とし,利潤の獲得を前提とする新聞。日本では明治初期の新聞発達初期には,大(おお)新聞と小(こ)新聞があり,前者は政論中心であってそのほとんどは政府・政党から資金援助を受けることの多い御用新聞や政党新聞で,利潤獲得は第二義的であったのに対し,後者はそのような援助を受けることが少なく,企業存続のために利潤を得る必要があった。日本の商業新聞はこの小新聞を源流にして,明治後期から急速に発展して現在に至っている。…
…とくに81年の国会開設予告詔勅発布後は,誕生したばかりの各政党の機関紙となり,あるいは各政党別に系列化し,旧武士階級や知識人を読者層として,多くは政府批判の言論を掲げた。これらの新聞は大版だったため,〈大(おお)新聞〉と呼ばれた。これに対し政府は75年に〈新聞紙条例〉や〈讒謗(ざんぼう)律〉を公布して弾圧し,83年には〈新聞紙条例〉を改定して発行禁停止権を地方長官にももたせるよう拡大し,また発行保証金制度を設けて新聞・雑誌の刊行を抑制した。…
※「大新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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