改訂新版 世界大百科事典 「竹本三郎兵衛」の意味・わかりやすい解説
竹本三郎兵衛 (たけもとさぶろべえ)
人形遣い,浄瑠璃作者,歌舞伎作者に同名の3人が知られている。(1)人形遣い。1747年(延享4)没。本名吉田三郎兵衛。辰松八郎兵衛とともに道頓堀竹本座創設以来立役人形を遣って名手とうたわれた。《曾根崎心中》の徳兵衛,《国性爺合戦》の和藤内などを初演した。(2)浄瑠璃作者。生没年不詳。竹本義太夫の子または孫とする説,2世吉田三郎兵衛の別名という説などがあるが,明らかでない。1759年(宝暦9)2月の《日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)》を竹田小出雲,近松半二らと合作したのが初めで,以後80年(安永9)2月の《東山殿幼稚物語(ひがしやまどのおさなものがたり)》まで,20年間に30余編の合作に名を連ねた。前半は竹本座所属で,近松半二,三好松洛らと合作,《奥州安達原》《本朝廿四孝》《太平記忠臣講釈》《関取千両幟》《近江源氏先陣館》などの執筆に加わった。1771年(明和8)以後豊竹座に移り,立作者として72年(安永1)12月の《艶姿女舞衣(あですがたおんなまいぎぬ)》などを書いた。(3)歌舞伎作者。生没年不詳。天明から寛政(1781-1801)期にかけて京坂の作者として活躍,辰岡万作とともに《新薄雪物語》ほかを書いた。同名の浄瑠璃作者との関係は不詳。《戯財録(けざいろく)》に〈富田市右衛門といふ。島内茶屋妾腹の子。元祖三郎兵衛別家なり〉の記事を載せている。
執筆者:服部 幸雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報